「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」周辺の神社と巡礼地の構成資産の特徴(静岡県・山梨県)

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1.はじめにーこの記事で紹介する構成資産ー

この記事では、世界文化遺産「富士山―信仰の対象と芸術の源泉の魅力」の構成資産について紹介します。

富士山―信仰の対象と芸術の源泉の魅力は2013年にユネスコの世界文化遺産に登録され、国内では「平泉‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」に続き17例目の世界遺産です。世界遺産範囲は静岡県と山梨県にまたがり、合計25の構成資産が存在します。

構成資産は富士山域の広い範囲と、山麓の各地に点在しており、富士山信仰と富士山にまつわる芸術作品との関連性が評価されています。

構成資産が数多く存在することから、この記事では富士山周辺の神社や巡礼地(地図中青色のピンのスポット)について、それぞれの特徴を解説します。

2.富士山周辺地域の構成資産

富士山周辺地域(周辺神社・巡礼地)の世界遺産は、24の構成資産があり、富士山を取り囲む神社や巡礼地の多くが登録されています。(地図上では忍野八海の8つの池をまとめて表記)

神社については、浅間大社の起源であり総本宮でもある富士山本宮浅間大社をはじめ、各登

山道の起点となり、富士修験や富士講の拠点ともなった村山や須山など各地の浅間神社が登録されています。

また、巡礼地としては、江戸時代に富士講の拠点となった山梨県富士宮市周辺には数多くの構成資産が残されています。民衆信仰である富士講の人々を案内、世話した御師(おし)の住宅のほか、山中湖や河口湖、忍野八海などの湖沼群は富士山登拝前の穢れを祓う場として、そして湖沼そのものが巡礼地としての信仰を集めてきました。加えて、富士山周辺の溶岩洞窟も信仰と修行の場として用いられており、船津や吉田の胎内樹形や、人穴富士講遺跡は洞窟そのものが世界遺産となっています。

ほかにも、海と砂浜と富士山を同時に望める三保の松原は古来から景勝地として知られており、数々の和歌や日本画の題材として親しまれた点が評価されています。

2. 富士山本宮浅間大社

富士山本宮浅間大社
©静岡県

富士山本宮浅間大社は静岡県富士宮市の市街地に鎮座している神社です。

詳細な創建時期は明らかではありませんが、富士山の火山活動の活発化に伴い、富士山の鎮火を祈願するために西暦781年から806年の間に神社として祀られるようになったと考えられています。

神社創建以降も富士山の火山活動は活発であったことから、盛んな祭祀が行なわれることとなり、朝廷や武士からも多くの信仰を集めました。

武田信玄らが信仰したほか、江戸幕府からは特別の庇護を受けたことで、現在みられる浅間神社特有の社殿造りが発展しました。

富士山本宮浅間大社は全国にある浅間大社の総本社、富士信仰の中心地としても知られており、本宮の境内の他に富士山の八合目以上も社地として保有しています。

3.山宮浅間神社

山宮浅間神社
©静岡県

山宮浅間神社は、静岡県富士宮市山宮地域にある神社です。

富士山本宮浅間神社の前身と考えられており、全国の浅間神社の中でも特に長い歴史を持っていると考えられています。
境内には溶岩石を用いた祭壇や石列が見られ、12世紀の土師器(はじき)が出土しています。一般的な神社の本殿にあたる部分に建物が無いのが特徴で、木や岩、山などを神が宿るものとして崇拝する、古来の祭祀の様子をうかがい知ることができます。

4.村山浅間神社

村山浅間神社は静岡県富士宮市の村山地域にある神社です。

世界遺産を構成する大宮・村山登山道(現 富士宮口登山道)の起点にある神社で、701年に現在の場所に祀られるようになったと考えられています。
中世以降は日本独自の信仰である修験道の拠点として、戦国時代には戦国大名である今川氏や江戸幕府からの庇護を受けて繁栄し、浅間本宮大社と並ぶ勢力を誇っていたと考えられています。
明治時代の廃仏毀釈、修験道廃止令によって境内の多くの仏堂が壊され、賑わいを失ってしまいましたが、現在でも境内には富士山興法寺大日堂など一部の建物が残り、神道と仏教が入り交じった神仏習合時代の形態を留めています。

5.須山浅間神社

須山浅間神社
©静岡県

須山浅間神社は静岡県裾野市にある神社です。

創建時期には諸説ありますが、遅くとも1524年までには存在していたことが確認されています。
境内は須山口登山道の起点となっており、富士山頂を目指す登拝者達はこの場所で登山の安全などを祈願していました。
1707年の宝永噴火時に須山口登山道と共に大きな被害を受けており、本殿は以降に再建されたものとなっていますが、老杉が茂る境内からは凛とした雰囲気を感じることができます。

6.東口本宮冨士浅間神社(須走浅間神社)

東口本宮冨士浅間神社は静岡県駿東郡小山町にある神社です。

創建は807年以前のことと考えられており、平安時代には弘法大師が修行をしたとの伝承があり、境内は江戸時代まで弘法寺とも呼ばれていました。
江戸時代以降に富士講や修験道が活発化すると、須走口登山道の起点として付近の宿場町と共に繁栄を迎え、境内にはこの時期以降に寄進された記念碑や石塔が多く残されています。
明治時代の廃仏毀釈により境内に被害を受けましたが、現在も当時の荘厳な雰囲気が残されています。

7.河口浅間神社

河口浅間神社は山梨県南都留郡富士河口湖町にある神社です。

864年に始まった富士山の噴火を鎮めるために、翌865年に浅間神(富士山を神格化した神)を祀ったことが神社の始まりと考えられています。
864年の噴火は貞観大噴火と呼ばれ、特に富士山北西部に溶岩を噴出させ、大きな被害をもたらしました。この噴火の被害は静岡側の浅間大社の祭祀怠慢が原因とされたため、山梨県側でも浅間信仰に力を入れることが求められたのが創建の背景とされています。
中世後半から江戸時代まで、河口浅間神社とその周辺は富士講の人々によって賑わっていましたが、やがて富士講の中心は富士吉田地域へと移っていきました。

8.冨士御室浅間神社

冨士御室浅間神社は山梨県南都留郡富士河口湖町にある神社です。

旧境内地は富士山吉田口登山道の二合目の場所にあたり、それまでの富士山信仰の神社が遥拝(遠くから祭礼、礼拝を行なうこと)が中心であったなか、富士山の山中に祀られた最古の神社であると考えられています。
社名にある「御室」は、かつて祭祀が石柱を巡らせた中で執り行っていたことに由来しています。創建以降は富士山の噴火ごとに被害を受けてきましたが、その度に武田氏をはじめとした有力な武将などにより再興、増設を受けてきました。
現在の社殿も江戸幕府家臣の鳥居氏によって建築されたもので、改築を繰り返した後、昭和期に現在の場所へと移築されました。

9.御師住宅(旧外川家住宅)

御師外川家住宅
©山梨県

御師住宅は、富士講信者の人々が富士登山を行う際の宿や食事の提供を行なった「御師(おし)」と呼ばれる神職の住宅兼宿泊施設のことです。

御師屋敷はその多くが短冊状の敷地を持っており、特に富士講が盛んであった北口本宮冨士浅間神社周辺では、現在でも富士山に向けて御師住宅が整然と並ぶ光景を目にすることができます。
旧外川家住宅は山梨県富士吉田に位置し、1768年に主屋が建てられた御師屋敷で、当時の姿が色濃く残されています。建物内には富士山の神を祀る神殿や、大勢の客を泊める広い客室が設けられており、御師の家の暮らしぶりを知ることができます。

10.御師住宅(小佐野家住宅)

小佐野家住宅は山梨県富士吉田市の上吉田地域にある御師住宅です。
富士講全盛期の江戸時代末期に建てられた住宅で、主屋と神殿が一体となった御師住宅として典型的なものです。
特に主屋の保存状態が良く、歴史的価値が評価されていますが、個人宅のため非公開です。富士吉田市歴史民俗博物館では、現存する小佐野家住宅と古図から建築当初の姿を復原した建物を見ることができます。

11.山中湖

山中湖

山中湖は山梨県南都留郡山中湖村にあり、富士五湖のうち最大の面積を持つ湖です。

富士五湖の湖を含む富士山周辺の湖沼は、富士講の信者達によって水垢離(みずごり)と呼ばれる水行の場、巡礼の場として信仰を集めてきました。
湖沼を巡る巡礼は「内八海巡り」と呼ばれ、全ての湖沼には仏教の守護神である龍神が祀られています。
山中湖はそれら湖の中でも標高が高く、さらに水深が浅いことから厳寒期には全面結氷することでも知られています。

12.河口湖

河口湖

河口湖は山梨県南都留郡富士河口湖町にあり、富士五湖の1つに数えられている湖です。

湖の中心にはうの島(鵜ノ島)と呼ばれる無人島があることや、湖畔に多くの景勝地があることが特徴です。
また、天然の流出口を持っていないため、古来、雨天による増水時には沿岸の村々には洪水の被害がありました。この被害を解決し、また周辺の水不足を解決するために、江戸時代には河口湖の水を通水する用水路トンネルが手堀りによって開通しています。
この用水路トンネルは新倉掘抜(あらくらほりぬき)と呼ばれ、全長3.8kmの長さは手堀りトンネルとしては日本最長のものと考えられています。

13.忍野八海(出口池)

出口池は山梨県南都留郡忍野村にある、忍野八海の一つに数えられる池です。

出口池はほかの池と比べて、離れた場所にあることから観光客が少ないため、あまり手が加えられていない自然を楽しめることで知られています。
出口池の湧水は「清浄な霊水」と呼ばれ、富士登山を目指す修行者達はこの池で水垢離を行ない、身体の穢れを祓ったほか、出口池の水を携えると無事に登山ができるという言い伝えがあり、富士登山のお守りとしても池の水が使われました。

14.忍野八海(お釜池)

お釜池は忍野八海の中でも最小の池ですが、約4mの水深があり、湧水に揺らめく水の青さを楽しむことができます。
お釜池には伝説が残されており、池から突然大きなガマガエルが現れ、近くに住んでいた娘を水中に引きずり込んでしまい、その後に遺体も浮かんでこなかったことから、その家族は池のほとりで娘の冥福を祈り過ごしたと伝わっています。このことからお釜池は別名を大蟇池(おおがまいけ)とも呼ばれています。

15.忍野八海(底抜池)

底抜池(そこなしいけ)も忍野八海の1つに数えられています。
特徴的な名前の由来は、昔からこの池で洗い物をしている際に誤って洗っていた野菜や道具を手から放してしまうと渦に飲み込まれて消えてしまっていたことにあります。
失くしたものは底抜池をどんなに探しても見つかりませんが、しばらくすると池の底を通り抜け、お釜池に浮かび上がるということがたびたびあったと伝わっています。
周辺の村人はこの池で洗い物をすると神様の怒りを買うとして、この伝説を語り継いできました。

16.忍野八海(銚子池)

銚子池は昔は池の形がお銚子(酒器)の形をしていたことが名前の由来と考えられているほか、逸話として結婚式の最中に放屁をしてしまった花嫁が、それに恥じ入り銚子(酒器)を抱いてこの池に入水してしまったという話も伝わっています。
池の底には花嫁の履いていた草履が映って見えることがあるとされており、花嫁の逸話から縁結びのご利益がある池としても知られています。

17.忍野八海(湧池)

湧池

湧池(わくいけ)は忍野八海の池の中でも特に湧水量が多いことが特徴で、澄んだ水や揺れ動く水面の美しさもあり、忍野八海を代表する池として挙げられることもあります。
昔富士山が噴火し、人々が焼け付く熱で苦しんでいる中、天から美しい声で「永久に私を信じるならば水を授けよう」との声が聞こえ、その後まもなく溶岩の間から湧池が湧きだしたという逸話が伝わっています。
この声の主は富士山の神、浅間大神でもある木花開耶姫命(このはなさくやひめ)であったと伝わっています。

18.忍野八海(濁池)

濁池(にごりいけ)は元々現在のような澄んだ池でしたが、ある時にみすぼらしい姿の修行者が一杯の飲み水を求めたのを断った際、一瞬にして池の水が濁った伝説が名前の由来となっています。その濁り水は器にくみ取ると澄んだ水に変わったとも言われています。現在では付近の井戸水が流入しており、池の水に濁りはみられません。

19.忍野八海(鏡池)

鏡池は湧水量がとても少ないことが特徴で、水面が湧水の影響を受けないため、条件が整えば水面にはっきりと逆さ富士が映りこむことからこの名前になったと伝えられています。
また、鏡池の水は諸事の善悪を見分ける霊力があると考えられており、付近の部落内でもめ事があった際には、争っている双方が鏡池の水を浴びて身を清めて祈っていました。

20.忍野八海(菖蒲池)

菖蒲池は鏡池の東側にあり、池の中にはショウブやキショウブなどの植物が茂っており、伝説ではこの池の菖蒲を身体に巻くと病気が治ると伝わっています。
かつてこの池の近くに夫婦が暮らしていましたが、夫が肺病にかかり、妻が看病をしても病は重くなるばかりでした。
妻が菖蒲池の水を浴びて身を清め、神仏に一心に祈り続けると、37日目に「池の菖蒲を取って夫の身に巻けば夫を苦しめる病魔は退散する」とお告げを聞き、その通りにすると夫は快方に向かったと言われています。

21.船津胎内樹型(ふなつたいないじゅけい)

船津胎内樹型は山梨県南都留郡富士河口湖町にある溶岩樹型です。溶岩樹型とは森林地帯に溶岩流や火砕流が流れ込み、元の木の部分が燃えて残った空洞のことです。

富士山麓には多くの溶岩樹型が見られますが、中でも船津胎内樹型は横倒しになった複数の樹木によって形成されており、規模や形状的にも大変貴重なものです。
船津胎内樹型の内部は側壁が肋骨状となっており、流れ込んだ溶岩がうねり、しわを造っている様相は、人の胎内を思わせるものです。
この様相は信仰の対象となり、「胎内巡り」として洞内を巡る信仰が発生していきました。

22.吉田胎内樹型

吉田胎内樹型は山梨県富士吉田市にある溶岩樹型です。

吉田胎内樹型は内部の形状母胎の臓器に似ているとされたことから、安産祈願の場所となったほか、内部に入り祈って出てくることで身が清められる、生まれ変わるという信仰にも繋がりました。
内部は普段は非公開となっていますが、毎年4月29日には「吉田胎内祭」が行なわれ、その際のみ内部の一般公開がされています。

23.人穴富士講遺跡(ひとあなふじこういせき)

人穴富士講遺跡は静岡県富士宮市にある溶岩洞窟です。

信仰の場として長い歴史をもっており、鎌倉時代の歴史書である『吾妻鏡(あづまかがみ)』には浅間大神がいる場所として見られていた記述があります。
また、富士講の人々が開祖として信仰した人物である長谷川角行(はせがわかくぎょう)が洞窟内で角材の上につま先立ちをして修行を行い、浅間大神の啓示を得て入滅した場所であったことから、富士講の聖地として信仰を集めました。
現在でも事前の申込を行なうと、安全対策を行なった上で洞窟内の一部へ入ることが可能です。

24.白糸ノ滝

白糸の滝

白糸ノ滝は静岡県富士宮市にある滝です。
富士山の伏流水が溶岩壁から湧き出ており、幅約150m、高さ20mの絶壁の全面から大小数百の滝が流れ出す様子は白糸の名にふさわしく、女性的な美しさがあることで知られています。
白糸ノ滝は長谷川角行が修行をした場所として、富士講の人々たちも巡礼するようになり、その様子は絵図などで確認できるほか、現地にも富士講の石碑などが現存しています。

25.三保の松原

三保松原
©静岡県

三保の松原は静岡県静岡市にある全長約7kmの松林が茂る海岸です。
平安時代から親しまれている景勝地で、万葉集に掲載された和歌の題材となって以降、和歌の名所として知られるようになりました。
また、羽衣伝説の舞台として知られており、浜辺には天女が舞い降りて羽衣をかけたとされる「羽衣の松」があり、謡曲『羽衣』の舞台にもなりました。

3.おわりにー旅程を検討する際のポイントー

©静岡県

ここまで世界遺産富士山のうち、周辺神社と巡礼地の構成資産について紹介しました。
富士山周辺の神社と巡礼地はそれぞれに距離があるため、全てを周遊するのは現実的ではありません。

しかし、富士山観光の際に巡礼地のいくつかに立ち寄ると、富士山への信仰がより立体的に見えるのではないでしょうか。

このブログでは世界遺産富士山の全体像についてまとめた記事や、富士山の他の構成資産についての記事も掲載していますので、そちらもあわせて参照してください。

岩本まさき

岩本まさき

1993年兵庫県西宮市生まれ。奈良大学文学部地理学科卒業後、営業職を中心に勤務。
2022年に旅行会社へ転職後は、ツアーへの添乗や旅行系のライターとして務め、個人・少人数向けツアーも多数企画しています。
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