東大寺 二月堂を参拝する(奈良県奈良市)

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1.はじめにー東大寺 二月堂と修二会の概要ー

二月堂
©廣畑智巳

この記事では奈良県奈良市にある「東大寺 二月堂(とうだいじ にがつどう)」について紹介します。
お堂とその周辺の見どころはもちろん、由来や歴史についても解説します。

二月堂は奈良市の東部、山焼きで有名な若草山の麓にあります。東大寺に属するお堂のひとつであるものの、「奈良の大仏」で知られる大仏殿からは徒歩で5分ほどの距離があります。

二月堂の建物は奈良の中心市街を見下ろす西向きの傾斜地に、京都の清水寺本堂などと同様の懸造(かけづくり)で建築されていることが特徴で、お堂は夕陽や夜景が美しく見られるスポットとしても知られています。

『二月堂』という名前は旧暦の二月にこのお堂で修される行事、『修二会(しゅにえ)』に由来するものです。
修二会は一般には「お水取り」とも呼ばれることが多く、「奈良に春の訪れを告げる行事」として、火のついた松明を持った僧がお堂の上を駆ける光景は、関西ローカルの番組などで取り上げられる機会も多く見られます。

二月堂お松明
©廣畑智巳

このお松明は動きの豪壮さと、火の粉が夜空を焦がす迫力から誤解されることも多くありますが、修二会のメインはお松明ではありません。
お松明は元々、二月堂へ登る僧侶達の足元を照らすために用意されているもので、松明に照らされた僧侶達は二月堂へ入ると、お堂の中で旧年の穢れを祓う懺悔と、新年の豊穣や平安の祈願を行っています。

この祈願の行が修二会であり、奈良時代に始まって以来1300年もの間一度も途切れることなく行われてきた歴史を持っています。
1300年間受け継がれてきた行の内容は複雑かつ多彩で、古い密教的要素や神道的要素、民間習俗的な要素や修験道の要素などが混ぜ合わさった独特のものとなっています。

二月堂夜 瓜灯籠
©廣畑智巳

その複雑さや神秘性は、行の中で諸仏諸神に帰依、祈願、供養する「声明」ひとつをとってもそうで、独特の響きを持つメロディーは多くの人々を魅了してきました。
声明は様々な形で音楽作品に影響を与え、多くの研究者の研究対象にもなったほか、昨年には大阪フェスティバルホールで声明の公演も行われました。

2.由来と歴史

夕暮れの二月堂
©廣畑智巳

この章では二月堂と修二会の由来と歴史について、お寺に伝わる話(縁起)を中心に説明していきます。

東大寺に伝わる史料『東大寺要録』において、二月堂が創建されたのは東大寺大仏殿が創建されたのと同年の天平勝宝4(752)年のことと伝わっています。
創建したのは僧侶『実忠(じっちゅう)』で、師匠の『良弁(ろうべん)』は東大寺大仏殿を開山した僧として知られています。

二月堂が創建されたと伝わる前年の天平勝宝3(751)年、実忠は京都府南部の笠置山付近へ赴いていたことが『二月堂縁起』などに伝わっています。
笠置山の麓には淀川水系の支流のひとつである木津川が流れており、木津川は上流地域で切り出した材木を流し、都に近い京都府南部「木津」地域で陸揚げする、古代の一大物流ルートでした。

実忠が笠置の地を訪れたのは木材の搬出を速やかに行うためだったといい、実際に実忠がこの地にあった洞窟で祈祷を行うと、龍神が現れて雨を降らし、水量が増えた木津川の水量が増したことで無事材木は木津へ運ばれたとされています。

祈祷が終わった後、実忠が洞窟を奥へと進むと、『兜率天(とそつてん)=仏教の天界のひとつ』に繋がっていました。
そこでは天人達が十一面観世音菩薩を本尊とし、罪過を懺悔する行法を行っており、これを目にした実忠は下界でこの行法を行いたいと天人へ伝えます。

二月堂夜 灯籠
©廣畑智巳

しかし、兜率天の1日は人間界の400年にあたるので到底追いつかないと天人の一人にたしなめられ、その対策として二月堂修二会は少しでも兜率天のペースに合わせるために走って行を行うこととなったとされます。

兜率天より帰った実忠は、天平勝宝4(752)年1月に笠置に現存する正月堂で、翌年2月からは二月堂で修二会を行し、その後も仏教の興隆に力を注ぎました。
そして大同4(809)年、修二会の最中である2月5日の夜に、二月堂内陣の須弥壇の下に姿を消したと伝わっています。

実忠の没後も修二会は行され続けました。源平合戦期や戦国時代に大仏殿が焼失した際にも行われたほか、江戸時代前期の寛文7(1667)年に二月堂が火災で失われた際には隣接する法華堂(三月堂)で行われています。
第二次大戦時にも物資の欠乏や灯火管制による労苦をしのぎながら修二会は行されており、天平勝宝4(752)年以来続けられてきた「不退の行法(ふたいのぎょうほう」は2024年で1272回目の開催となります。

3.境内のみどころ

この章では東大寺二月堂の見どころについていくつかご紹介します。

①二月堂

二月堂 夕照
©廣畑智巳

懸造で崖からせり出すように建てられているのが特徴的な建物です。
経典の中で観音菩薩は南海の補陀落山中に住むとされたことから、日本の観音菩薩を祀るお堂には懸造で建てられたものが多く、二月堂もそのひとつです。

24時間拝観することが可能で、夕暮れの時間帯には奈良盆地を挟んで生駒山へ沈む夕陽を、夜には奈良の夜景も堂内からは楽しむことができます。
特に夜間、瓜灯籠に照らされる二月堂では、幽玄で幻想的な雰囲気を楽しむことができます。

②登廊と石階段(青石壇)

青石壇

二月堂の北側は屋根付きの階段である登廊(のぼりろう)が、南側には石階段があり、それぞれ二月堂へ繋がっています。

登廊は、修二会期間中に松明を持った練行衆が駆けあがる階段で、麓にある参篭所と二月堂を繋いでいます。

53段ある石階段には亀甲や青海波、唐草などの文様が刻まれているのが特徴的で、これは結界のような意味をなしているのではないかとの考えも見られます。
2023年にはこの石階段の模様の美しさに注目した奈良県出身の美術家田中教子さんによって、石階段の拓本を中心とした個展も奈良市内で開かれました。

③龍美堂

龍美堂 わらび餅
©廣畑智巳

石段を登ってすぐ、二月堂の南側にあるお茶所です。
小さな店内では、自家製あんこのおはぎやぜんざいのほか、写真映えするパフェなどを楽しむことができます。

また、店内で販売されている「行法味噌(ぎょうぼうみそ)」はここ龍美堂でしか購入できないもので、修二会期間中に僧侶達が口にしているおかずみその製法と同様の素材、製法で造られています。
大豆や牛蒡も入った手作りみそはお茶漬けやあたたかいごはん、田楽などに用いて楽しむことができます。

4.おわりにー参拝のポイントー

二月堂裏
©廣畑智巳

ここまで東大寺二月堂について説明してきました。
東大寺大仏殿は観光客や修学旅行生で常に賑わいますが、山手の二月堂や三月堂、手向山八幡宮がある地域まで訪れる旅行者はあまり多くはありません。

しかし、この地域の雰囲気はとても素晴らしいもので、奈良に来た際には大仏殿だけでなくぜひこの一帯を訪れてもらいたく思います。
大仏殿前から鬱蒼とした坂道を登っていくと、まず『手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)」が目の前に現れます。大仏建立の際に東大寺の鎮守として、大分の宇佐八幡宮が勧請されたと伝わる古社で、境内は紅葉の名所としても知られています。

八幡宮のすぐ北には東大寺法華堂(三月堂)があります。
三月堂は建物そのものも奈良時代から現存、堂内の諸仏も奈良時代のものであることがわかっており、長い歴史の中で度重なる火災の害を受けてきた東大寺の中で、天平当時の雰囲気をそのままに伝えています。
特に本尊の『不空羂索観世音菩薩立像(ふくうけんじゃく)』は天平時代を代表する仏像彫刻として知られ、様々な宝玉が散りばめられた宝冠を被り、光り輝く光背を背負う姿は威厳と静かな美しさを湛えています。

いよいよ3月1日からは修二会がはじまります。まだ寒さが残る時期ではありますが、お松明が始まる少し前に奈良入りし、二月堂とその周辺の諸堂を拝してみるのもおススメです。

名称東大寺 二月堂(とうだいじ にがつどう)
住所〒630-8211
奈良県奈良市雑司町406-1
電話番号0742-22-5511
参拝時間舞台周囲は自由
(24時間参拝可能ですが、特に夜間は静かにお参りください)
参拝の所要時間おおよそ15分
主なアクセス方法近鉄奈良駅などから奈良交通バス運行あり
東大寺大仏殿・春日大社前バス停などから徒歩15分程度
入山料なし
関連サイトhttps://www.todaiji.or.jp/information/nigatsudo/
岩本まさき

岩本まさき

1993年兵庫県西宮市生まれ。奈良大学文学部地理学科卒業後、営業職を中心に勤務。
2022年に旅行会社へ転職後は、ツアーへの添乗や旅行系のライターとして務め、個人・少人数向けツアーも多数企画しています。
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