目次
1.はじめにーモデルコースの背景ー
この記事では茨城県の梅の名所二大スポットを訪れます。
全国的に有名な梅の名所であり、日本三名園のひとつでもある『偕楽園(かいらくえん)』と、茨城県のシンボルであり日本百名山に数えられる筑波山にある『筑波山梅林』を自動車で訪れます。
茨城県はかつて県のほぼ全体が『常陸国(ひたちのくに)』の領域だった歴史を持っています。
「常陸」という国名の由来には、奈良時代初期に成立した『常陸国風土記』に2つの話が伝わっており「国の中を船を使わずに真っすぐに移動することができる直通(ひたみち)が由来」というものと、「ヤマトタケルノミコトが井戸を掘らせた際、着物の袖を井戸に浸して濡れたことが“ひたち”の由来となった」という話が残っています。
また、常陸国風土記内には、常陸国を褒め称える文章として次の意味のものも伝わっています。「常陸国の領域は土地は広大で土地は延々と続いている。土壌は肥沃で実りは豊穣である。海山の幸にも恵まれ、人々は安らぎ、家々は満ち足りている。田を耕し、糸を紡ぐ者たちは、やがて富裕となり貧しき者はいない。山が海が、野が原があり、水陸の物産の宝庫であるので、昔の人が常世の国といったのはこの国であろう。」
当時都が置かれた奈良県周辺から見ると、常陸国は決して近い地域ではありません。しかしこうした文章が残っていることからは、当時の朝廷の統治が茨城県周辺にまで及んでいたこと、そしてこの地域が「都から遠い田舎」としてだけでなく、魅力のあるところとして一定の認知がされていたことを窺い知ることができます。
そして、常陸国のシンボルである筑波山は古代の人々にとっては一度は訪れてみたい和歌の名所でもありました。
筑波山は古来、男女が集い恋愛の和歌を交換し合う「歌垣(かがい・うたがき)の場所として知られていました。
歌垣は元来、豊かな実りを得るための祭礼的な要素が強かったと考えられますが、徐々に恋愛的要素や遊興的要素が強くなっていきました。
奈良で行われた歌垣では2人の男性が女性を巡って歌を戦わせた記録も残されており、歌垣は男女の出会いと恋を楽しむエンターテイメントとして理解されていました。
歌垣の会場である筑波山は、こうした開放的な恋、自由な恋を想起させるものとして奈良時代以降の人々に認知され、和歌の歌枕として親しまれてきました。
奈良時代末期に成立した『万葉集』には、都から遠く離れた場所にあるにもかかわらず「常陸」「筑波」を詠んだ歌が多く残っているほか、その後の時代には
「筑波山 端山 繁山 しげけれど 思ひ入るには さはらざりけり」(筑波山や周りの山がどれだけ茂って障害が多かったとしても、歌垣に行きあなたに会うと決心した私の障害にはなりません)源重之
という和歌や、
「筑波嶺の 峰より落つる 男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる」(筑波山から流れ落ちる川の水かさが深くなっていくように、私の恋心も次第につのって深くなっている)陽成院
という、百人一首に採られたものも残されています。
和歌は自分の気持ちや秘められた思いを伝えるツールとして古代の人々に親しまれましたが、そこには“状況”や“時間”、“香り”など様々なものが表現されています。
和歌では花を題材に詠うものも多くみられますが、桜が和歌に多く登場するのは平安時代の前期以降のことで、それまでは和歌において“花”とは多くが梅の花を指すものでした。
香りが良い梅の花は夜、暗闇の中でも香りを感じさせ、その香りは香を焚きしめた異性の存在を感じさせました。
また、寒い冬の終わりに咲く梅は、その先にあるうららかな春の訪れを感じさせるものでもあり、詩歌の格好の題材となりました。
「春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やはかくるる」(あなたの姿は見えないが、春の闇の中でもあなたの香りは隠しきれていない)凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
という歌や、百人一首に採られた
「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」(あなたの心はわからないけれど、古くから慣れ親しんだこの場所では梅の花だけが昔と同じに香りを漂わせています)紀貫之
という和歌があり、梅の花の艶やかさと共に、存在感や記憶が香りによって伝わり、呼び起される様子が伝わってきます。
このように詩歌で親しまれた梅は、貴族だけでなく武士達にも親しまれました。
武士たちは梅を貴族たちと同様に詩歌の題材としただけでなく、梅干しを作ることで疲労回復や腹痛の薬としても用いていました。
神奈川県小田原の梅林は関東地方で偕楽園と並ぶ知名度を誇りますが、この梅林の木は当地を治めた戦国武将である北条早雲(伊勢盛時)が庭に植えたものがはじまりともいわれています。
水戸の偕楽園はその後の時代、天保13(1842)年に水戸藩9代藩主の徳川斉昭(とくがわなりあき)によって造園されましたが、その際に庭園のほか水戸の各地に多くの梅を植え、現在に繋がる景観を作り出しています。
斉昭が梅の植樹を奨励した理由として
1、花が雪の中で先駆けて咲き、よい詩歌の題材となること
2、果実は酸が含まれており、食した人々の喉の渇きを取り、疲れを癒やすこと。
3、梅干しは保存が利き、防腐・殺菌効果もあるので、軍事の際の非常食として役立つこと
上記3つが残されており、梅の持つ文化的な面と実用的な面に着目した政策だったことがわかります。
このモデルコースでは、これら梅の香りと詩歌をテーマとして、常陸・茨城の梅の名所である偕楽園と筑波山梅林を訪れます。
スポットの都合上、今回は自動車を用いたルーティングとしていますが、偕楽園周辺だけ、筑波山周辺だけの訪問もおススメです。
偕楽園がある水戸周辺からは、鉄道などの利用によって沿岸部の『大洗町』や『ひたちなか市』などへもアクセス可能ですし、日本百名山に数えられる筑波山は登山やハイキングの名所として知られています。
2.モデルコース
ルート:水戸駅→偕楽園→弘道館→(道中でお食事)→筑波山神社→筑波山梅林
交通手段:自動車
所要時間:6時間~
10:00 水戸駅
旅のスタートは水戸駅からです。水戸駅には東京や仙台駅から常磐線特急の「ひたち」「ときわ」でアクセスが可能です。また、茨城空港から発着する高速バスを利用すると40分ほどの距離にあり、全国各地からアクセスすることができます。
道路も常磐自動車道や北関東自動車道などが整備されているため、東京、北関東、福島県西部地域などからは2時間以内で到着することができます。
名称 | 水戸駅 |
住所 | 〒310-0015 茨城県水戸市宮町1丁目1-1 |
関連サイト | https://www.jreast-timetable.jp/timetable/list1471.html |
↓車で15分程度
10:20 偕楽園
偕楽園は江戸時代の水戸藩第9代藩主徳川斉昭公によって造園され、日本三名園に数えられている庭園です。
園内には梅の木の異名(好文)を名乗る「好文亭」がありますが、これは中国・晋の皇帝が学問に親しむと梅の花が開き、学問をやめると梅の花が開かなかった故事に由来しています。
偕楽園が造園されたのと同時期には藩校の『弘道館』が設立されており、偕楽園と弘道館は一対のものでした。庭園は弘道館で学ぶ藩士達の余暇の場として造られたものであり、さらに領民を含む偕(みんな)の楽しむ場でもありました。
当時から偕楽園は3と8がつく日に庶民に開放されており、大名庭園に珍しく「使用ルール」の制定までされるなど、公共公園的な側面も持って造られました。
梅で有名な偕楽園ですが、庭園の全体が梅に覆われている訳ではなく、庭園の北西側にある表門から園内へ入ると、しばらくは竹林や杉木立が続く鬱蒼とした風景が広がっています。
幾つもの門をくぐり、好文亭へたどり着くと風景は一変、明るく開かれた風景の中に梅が咲き乱れる風景を楽しむことができます。
名称 | 偕楽園 |
住所 | 〒310-0033 茨城県水戸市常磐町1丁目3-3 |
電話番号 | 029-244-5454 |
入園料 | 一般:300円 |
開園時間 | 2月中旬~9月30日 / 6:00~19:00 10月1日~2月中旬 / 7:00~18:00 |
関連サイト | https://ibaraki-kairakuen.jp/ |
↓車で10分程度
11:00 弘道館
徳川斉昭によって天保12(1841)年8月に創設された水戸藩の藩校です。
藩士に文武の修練を積ませることを目的としており、儒学教育を基盤としながら、学科ごとに学舎を設けていました。きめ細やかなカリキュラムの中には蘭学や医学、天文学も含まれており、現代の総合大学のような施設でした。
敷地内には60品種800本の梅の木が植えられており、偕楽園に負けない梅の名所としても知られています。
藩校を開いた斉昭は「一張一弛(いっちょういっし)」という考えを持っていました。弘道館で厳格に学問に励んだ後は、偕楽園で藩主、藩士、領民まで偕(みんなで)楽しむ。
厳格さが求められがちな当時において、メリハリを大切にした斉昭の考えは開かれたものだったといえるでしょう。
名称 | 弘道館 |
住所 | 〒310-0011 茨城県水戸市三の丸1-6-29 |
電話番号 | 029-231-4725 |
入館料 | 一般:400円 |
開館時間・休館日 | 2月20日~9月30日:9:00~17:00 10月1日~2月19日:9:00~16:30 12月29日~12月31日休館 |
関連サイト | https://kodokan-ibaraki.jp/ |
↓車で1時間15分程度(道中でお食事をお取りください)
14:15 筑波山神社(拝殿)
元々は筑波山そのものをご神体として崇めてきたと考えられ、有史以前からの歴史を持つと考えられている神社です。
筑波山は西峰(男体山)、東峰(女体山)からなる双耳峰であることが特徴で、筑波山神社には男体山の男神と女体山の女神の二柱が祭神として祀られています。
関東平野の広い範囲から目にすることができる筑波山は、関東平野に人が住み始めた頃から神聖視されていました。
男女が集い開放的な恋を楽しむ歌垣は、神社から山を下った場所にある巨岩の近くで行われたと伝わっていることからも、元々は筑波山の男女の神に豊穣を祈る祭礼的側面を持っていたと考えられます。
筑波山神社では、隣接する梅林の梅の木の一本を毎年祈祷、「福来梅の木(ふくれうめ)」として良縁祈願のパワースポットとしています。
名称 | 筑波山神社 |
住所 | 〒300-4352 茨城県つくば市筑波1番地 |
電話番号 | 029-866-0502 |
参拝料 | 無料 |
参拝時間 | 9:00~17:00 |
関連サイト | https://www.tsukubasanjinja.jp/ |
↓車で5分程度
15:00 筑波山梅林
筑波山南斜面の標高約250m付近に位置している梅林です。
30種1,000本の梅の木が植えられており、筑波山中腹にある眺望の良さや、園内に点在する「筑波石(斑レイ岩)」の巨岩と梅のコントラスト、変化に富んだ園内の地形から、偕楽園とは違った良さのある梅の名所として知られています。
筑波山梅林は元々観梅が主体でなく、梅の採取を目的とした梅園であったために、園内の梅の多くの樹高が低く、這うような形に整えられています。
訪問する際には偕楽園をはじめ、他のスポットとの梅の木の剪定方法の違いにも着目してみましょう。
名称 | 筑波山梅林 |
住所 | 〒300-4353 茨城県つくば市沼田4 |
電話番号 | 029-866-1616 |
関連サイト | https://umematsuri.jp/ |
3.おわりにーコースの注目ポイントー
ここまで「梅の香りと詩歌」をテーマに、茨城県の梅の名所を紹介しました。
茨城は万葉の昔から詠われてきた、深い魅力のある地域です。今回は梅をテーマにスポットを選定していますが、今回紹介したもの以外にも立ち寄りたいスポットは数多くあります。
最初に少し触れた大洗町やひたちなか海浜公園もおススメですし、県北部に目を向ければ、栃木県の『華厳の滝』や和歌山県の『那智瀧』と並んで日本三名瀑に数えられる『袋田の滝』で迫力のある景色を楽しむことができます。
県の南部には琵琶湖に次いで二番目の大きさがある『霞ヶ浦』のほか多くの湖沼があり、豊かな水郷風景を楽しむことができるほか、藤原氏の氏神を祀り朝廷からも崇敬された『鹿島神宮』などもあります。
春近づく常陸の国をぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。