目次
1.はじめにー富士山本宮浅間大社についてー
この記事では静岡県富士宮市、富士山西南麓にある神社、富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)をご紹介します。
境内の見どころや神社の歴史、そして富士山との関係性などについてもお話していきます。
富士山本宮浅間大社(本文中ではこれ以降「本宮浅間大社」と記述します。)は資料上でも平安時代前期の仁寿3(853)年に鎮座していることが確認できる古い神社です。
この時の資料では朝廷より「従三位(じゅさんみ)」という高い位が神社に与えられていますが、朝廷と繋がりがない神社にいきなりこのような高い位が与えられるとは考えにくいことから、神社の鎮座、そして朝廷からの崇敬を集めるのはさらに前の時代からのことと考えられています。
「浅間(あさま・せんげん)という名前を持つ神社は、本宮浅間大社以外にも静岡県や山梨県を中心とする広い範囲で見られますが、これらはいずれもが「浅間信仰(せんげんしんこう」と呼ばれる富士山への信仰の神社です。
浅間信仰の神社は全国に1,300社以上あるとされており、本宮浅間大社はそれら浅間神社の総本社とされています。
本宮浅間大社は朝廷からだけでなく、富士山周辺地域に関わりのある多くの武士たちからも崇敬を集めてきた歴史を持っており、源頼朝や北条義時らによる社領寄進や社殿造営の記録が残るほか、足利家や今川家、武田家、豊臣秀吉や徳川家康など、そうそうたる顔ぶれが寄進を行った記録が残されています。
神社の特徴としては「浅間造(せんげんづくり)」と称される特徴的な建築様式が挙げられますが、これも徳川家康が関ケ原の戦いの戦勝祈願成就によって寄進したものとされており、朱色の美しい二階建ての楼閣建築の本殿は一見の価値があります。
本宮浅間大社は富士山の頂上付近を飛び地境内としており、このエリアには奥宮や久須志神社といった信仰施設があります。
これらと本宮浅間大社の境内は、世界文化遺産『富士山-信仰の対象と芸術の源泉』の登録資産となっています。
2. 由来と歴史
本宮浅間大社がいつ、どこにはじめて鎮座したのか、その詳細な記録は残されていません。
しかし、神社に残る古い記録『富士本宮浅間社記』には、平安時代初期の大同元(806)年に山宮浅間神社から現在地に神社が移転したという記録が見られます。
山宮浅間神社には、ヤマトタケルノミコトがこの地で富士山を祀ったという記録がみられるほか、富士宮市内からは富士山を遥拝する縄文時代の祭祀遺跡が見つかっており、古くからあった富士山への信仰が、平安時代までに次第に「神社」の形に整えられていったことが伺えます。
奈良時代後期から平安時代中期にかけては、富士山の噴火活動が活発化していた時代にあたり、和歌のほか朝廷の記録に富士山の噴煙や噴火に関する記述・記録が多く見られます。
延暦19(800)年、延暦21(802)年の延暦噴火、そして貞観6~8(864~866)年の貞観大噴火では特に噴火による周辺被害が大きく、この時期に上昇した本宮浅間大社の神格は、富士山の神を懐柔し、噴火を抑えようとする朝廷の考えがあったとされています。
この貞観大噴火の際、朝廷が噴火の原因を占った結果、原因が「本宮浅間大社の祭祀怠慢」にあるとしたことから、本宮浅間大社だけでなく富士山の北麓の甲斐国(山梨県)側でも富士山の祭祀を行うこととし、浅間信仰が山梨県側に広がる要因ともなりました。
長い祈りが通じたのか、平安時代の富士山の噴火は永保3(1083)年を最後に収束し、以降富士山は遥拝して信仰するものから登って参拝(登拝:とうはい)するものへと信仰の形を徐々に変えていくこととなります。
この登拝という信仰形態へのシフトには、修験者達による信仰活動が大きな影響を及ぼしています。
神仏習合の考えのもと、山の中を神仏の住む世界とする修験道では、その山の中を駈けることで神仏から力を授けられるという考えがありました。
富士山は山体そのものが密教の根本仏である大日如来であるとされ、特に山頂部分は仏の世界として神聖視されました。
富士山の山頂部分にはお寺などが構えられ、多くの修験者達が麓から山頂への登拝を行いました。やがてこの信仰は江戸時代には「富士講」に姿を変え、多くの民衆を富士山へと誘いました。
また、本宮浅間大社はこれら富士山への参拝者達が、全国から富士山へ至るための街道と登山道の結節点に位置していることから多くの人々の参拝がありました。
武士たちからの崇敬も厚く、鎌倉時代には源頼朝が社領の寄進を、北条義時が社殿の造営をしたことがわかっています。
現在でも本宮浅間大社を象徴する神事のひとつとされる「流鏑馬(やぶさめ)」の神事ですが、これは頼朝が富士の巻狩りの際に神社へ流鏑馬を奉納したことが起源とされています。
武家の棟梁である頼朝が参拝した神社であることから、以降も本宮浅間大社は多くの武士からの崇敬を集め、足利尊氏と弟直義からは社領の寄進が、駿河国の守護大名今川氏からは土地の安堵を受けています。
そして今川家の衰退後は甲斐武田氏によって本宮の遷宮が行われているほか、天下統一が近づいた天正18(1590)年には豊臣秀吉が社領の寄進を行っています。
江戸時代に入ってからは、江戸幕府からの庇護を受けることとなり、本殿などの造営のほか、金銀などの寄進が歴代将軍より行われています。
江戸時代中期には再び富士山の噴火活動は活発化、中でも宝永4(1707)年の宝永大噴火では数度の地震と江戸でも降灰が観測される大噴火となりましたが、その際には幕府からの命により本宮浅間大社で噴火を鎮める祈祷が行われています。
3.見どころ
この章では富士山本宮浅間大社の見どころについて具体的にいくつかをご紹介します。
①本殿
ご祭神の「木花之佐久夜毘売命(コノハナサクヤヒメ)、別名:浅間大神)をお祀りしています。
現在の本殿は徳川家康が関ヶ原の戦いの戦勝祈願成就を記念して造営されたものと伝わっており、今も豊かな装飾と彩色を目にすることができます。
特に神社の本殿建築に珍しい「二階建て構造」が大きな特徴で、桁行5間・梁間4間・寄棟造の社殿の上に三間社流造の社殿が乗っています。
本殿は国の重要文化財にも指定されているので、その美しく特徴的な姿を是非様々な方向から見てみましょう。
②湧玉池(わくたまいけ)
神社の東脇門を出ると、平安朝の歌人が「つかうべきかずにをとらん浅間なる御手洗川のそこにわく玉」と詠じた湧玉池があります。
この池は富士山の雪解け水が何層にもなった溶岩の間を通り湧出しており、国の特別天然記念物にも指定されています。
富士山からの伏流水を水源としており、年間を通じて湧出量や温度がほぼ一定であることが特徴で、一説には富士山噴火前の浅間信仰のルーツはこの豊かな水にあったのではという考えも見られます。
古くから禊の場にもなっており、参拝者が富士山へ登拝する前にこの池で水垢離をする姿が中世の絵巻物などに見られます。
③富士山頂上浅間大社奥宮
富士山の八合目より上、山頂の一帯は本宮浅間大社の飛び地境内となっており、山頂からほど近い場所には富士山頂上浅間大社奥宮が鎮座しています。
富士山の開山は例年7月10日~9月30日の間ですが、この期間中には奥宮に神職が奉仕しており、国家安泰、氏子・崇敬者・登拝者の安全を祈念しています。
本宮と奥宮では御朱印も異なっており、奥宮の御朱印は富士山溶岩の砂の混じったものが捺されることが特徴です。
④お宮横丁
本宮浅間大社の鳥居前には、今も多くの商店街が見られ「鳥居前町(門前町)」を形成しています。
今でも賑わいのある界隈ですが、徒歩での巡礼が行われていた江戸時代には、さらなる賑わいがあったとされています。
そうした鳥居前町の賑わい・風情を感じられる場所として平成16(2004)年、本宮浅間大社の鳥居前にできたのがお宮横丁です。
お宮横丁は「屋外型のフードコート」とも評される横丁で、通りには9店舗が軒を並べています。
通りには富士宮名物として名高く、「ご当地グルメでまちおこしの祭典!B-1グランプリ」で第1、2回でグランプリに輝いた「富士宮焼きそば」のアンテナショップや、真っ黒な出し汁が特徴的な「静岡(しぞーか)おでん」、富士山ジェラートなどのお店が並び、食欲をそそります。
お土産の購入もできるので、ぜひ参拝後に立ち寄ってみましょう。
4.おわりにー参拝のポイントー
ここまで富士山本宮浅間大社について説明しました。
富士山の西南にある本宮浅間大社は、その鳥居と富士山を一緒に写真に収めることができるなど、日本独自の信仰の形を知ることができる神社として、国内外で広く知られています。
しかし、どのような経緯から現在の場所にお祀りされることになったのか、具体的にいつごろから浅間信仰があったのかなど、不明点も多くあります。
参拝の際には長い歴史を持ち、多くの信仰を集めながらも謎の多い富士山への信仰について考えてみても楽しいのではないでしょうか。
本宮浅間大社をはじめ、富士山頂上付近飛び地境内の信仰遺跡群、そして富士山麓各地に残る浅間大社の多くは世界文化遺産『富士山-信仰の対象と芸術の源泉』の構成資産となっています。
この世界遺産は富士山と、富士山麓の広い範囲が世界遺産となっていることが特徴で、構成資産の数々を見ると、美しい富士山への畏怖と信仰、そしてその美しさが様々な芸術へ昇華されていった流れを知ることができます。
このブログでは3本の記事に分けて世界遺産富士山への解説をしています。そちらも是非ご参照頂きながら富士山観光を楽しんでくださいね。
名称 | 富士山本宮浅間大社 (ふじさんほんぐう せんげんたいしゃ) |
住所 | 〒418-0067 静岡県富士宮市宮町1-1 |
電話番号 | 0544-27-2002 |
参拝時間 | 8:30-16:30 |
参拝の所要時間 | 40分程度 |
主なアクセス方法 | JR身延線富士宮駅から徒歩10分程度 |
参拝料 | 無料 |
関連するサイト | http://fuji-hongu.or.jp/sengen/# |