浮浪山 鰐淵寺を参拝する(島根県出雲市)

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1.はじめにー鰐淵寺についてー

鰐淵寺根本堂
©岩本まさき

この記事では島根県出雲市、出雲大社裏手の山中にあるお寺、鰐淵寺をご紹介します。
浮浪の滝をはじめとする境内のみどころや、お寺の歴史などを訪れた際の感想を含めてお話ししていきます。

鰐淵寺は出雲大社から見て北東方向、出雲北山の山中にある天台宗のお寺です。
境内には霊地である『浮浪の滝(ふろうのたき)』があることで知られ、この滝とお寺の間には不可分の深い関係があります。

お寺の境内の大部分は苔と緑に覆われており、初夏から夏にかけては目に鮮やかな緑を楽しみながら、そして秋には境内を覆いつくす紅葉を楽しみながらの散策ができるのも特徴です。

お寺は修験によって比叡山延暦寺と、そして神仏習合的な要素から出雲大社と密接な関係を持っていたことが特徴的で、中世の長い期間で勢力を保持、出雲の中世史に大きな影響を及ぼしました。

鰐淵寺扁額
©岩本まさき

境内からはそうした往時の繁栄と、信仰の歴史を色濃く感じることができます。
ガイドブックなどでもあまり紹介されない穴場的なお寺ですが、静かな雰囲気の中に立派なお堂が佇み、迫力ある滝が見られることから、お寺や神社を訪れるのが好きな方にはぜひ訪れてもらいたいお寺です。

2.由来と歴史

鰐淵寺石段
©岩本まさき

鰐淵寺は今から1,400年以上前の飛鳥時代、推古2(594)年に創建されたと伝わっている、山陰地方でトップレベルに長い歴史を持つと伝えられているお寺です。

創建したのは『智春上人(ちしゅんしょうにん)』とされ、推古天皇の眼病を境内にある霊地『浮浪の滝』で祈り、快癒させたことがお寺の創建に繋がったとされています。

浮浪の滝は鰐淵寺の中でも特別な場所であり、「インドの霊鷲山(りょうじゅせん=ブッダが説法したとされるインドの霊地」)が浪に浮いて漂ってきた場所が“浮浪の滝”である」という考えがあり、この逸話が鰐淵寺の山号の由来にもなっています。

“鰐淵”という寺号もこの滝に由来しており、お寺を創建した智春上人が滝のほとりで修行をしていた際、誤って仏具を滝壺へ落としたところ、滝壺からエラに仏具を引っ掛けた鰐鮫が現れて上人に仏具を渡したという逸話が伝わっています。

浮浪の滝がインドから流れ着いたという逸話は勿論、鰐鮫が仏具を届けたという逸話も伝説色の強いものですが、なぜこういった伝説が生まれたのかははっきりとしません。 
しかし、比叡山は霊鷲山を写した山であるという伝説があり、「西の比叡山」とも称される兵庫県姫路市の書写山圓教寺に「霊鷲山の砂で作られた」という逸話も残っているなど、霊鷲山との関係性を表す逸話は他の有名寺院にも伝わっています。

浮浪の滝周辺が霊鷲山の一部であったという伝説は、鰐淵寺が天台宗寺院として高い格を持ったからこそ持ちえた伝説であろうと考えられます。

浮浪の滝
©岩本まさき

鰐淵寺は比叡山に延暦寺が開かれて以降、早い段階で延暦寺に従って山陰地方を代表する天台宗寺院になったことがわかっています。
『鰐淵寺』というお寺の名前が記録に見られるようになるのも平安時代以降のことで、元々修験の行場として発展していたところに比叡山の僧が入り、お寺として整えたのではないかとも考えられます。

鰐淵寺の伝説としては特に弁慶にまつわるものが有名です。
平安時代末期の僧で、源義経の家来、剛力無双の僧として知られる弁慶は、『義経記(ぎけいき)』では熊野別当の子として和歌山県田辺の生まれとされていますが、ここ鰐淵寺では任平元(1151)年に松江で生まれたとしています。

18歳からの3年間を鰐淵寺で過ごした弁慶は、その後比叡山へ向かい、そこで源義経に出会ったといいます。
平家との合戦後には、弁慶は再び鰐淵寺へ戻り、その際に大山寺(鳥取県大山町)の釣鐘を一夜にして鰐淵寺まで担いで持ち帰ったとされています。

実際にお寺には寿永2(1183)年の銘がある銅鐘(重要文化財)が残されており、大山寺から弁慶が運んだかどうかは定かでないものの、弁慶と同じ時代にお寺が力を有したことが伝わります。

その後鎌倉時代には、鰐淵寺は出雲守護の佐々木氏の庇護を受けたほか、神仏習合の考え方の下で出雲大社とも繋がりを強め、その勢力を増していきます。
建長六(1254)年4月の日付が記された「出雲国守護佐々木泰清書下」には出雲大社が「国中第一之霊神」と記されているのと同時に、鰐淵寺が「国中第一之伽藍」と記されています。
南北朝時代には鰐淵寺の中で南朝派と北朝派に分かれての対立なども発生しましたが、その後両派は和解し、1つの『根本堂』に両派の本尊を祀る寺院となっています。

出雲大社
出雲大社©岩本まさき

比叡山や出雲大社との良好な関係性があり、お寺周辺の領域を支配した鰐淵寺は、中世の西出雲地域においては一勢力を築いていました。
守護佐々木氏や塩冶(えんや)氏、そして尼子氏といった出雲地域を治めた武士達からの崇敬を集めたほか、戦国時代中期に西出雲地域の勢力が出雲守護尼子氏に反旗を翻した「塩谷興久の乱」では、反乱勢力側の中心的勢力のひとつにもなっています。

その後の出雲国へ毛利氏が侵攻する際には、鰐淵寺の僧が毛利家支持にまわっており、戦後には毛利家からの崇敬によって現在の根本堂の寄進を受けています。しかしこの頃から寺領を徐々に失い、出雲大社との関係を希薄化させたことなどで勢いを失っていったようです。

現在では毛利家寄進による根本堂はじめ、境内すべてが樹陰の中にひっそりとしており、神秘的かつ涼やかな雰囲気を感じられるお寺となっています。

3.見どころ

この章では具体的な鰐淵寺の見どころについていくつかをご紹介します。

①根本堂

鰐淵寺根本堂
©岩本まさき

天正5(1577)年に当時の毛利氏当主、毛利輝元によって建立され、その後江戸時代に再建されたと考えられているお堂です。
鰐淵寺の中心的なお堂で、堂内には薬師如来と千手観音の2体のご本尊仏が祀られています。

鮮やかな朱色を纏っている姿が見事なお堂で、春から夏の緑をバックにした姿も映えましたが、冬の雪や秋の紅葉の時期の美しさも、えもいわれぬものであろうと感じさせます。

②摩多羅神社(常行堂)

鰐淵寺常行堂
©岩本まさき

根本堂から三台杉を隔てて南隣にあり、大社造の社殿が特徴的な建物です。
社殿の中には「後戸の神」ともいわれ、謎の多い神「摩多羅神(またらじん)」が祀られています。

摩多羅神は阿弥陀経や念仏の守護神とされる、神仏習合を背景に誕生したと考えられる神で、天台宗の寺院で祀られるケースが散見されます。
摩多羅神は大国主と習合、福徳神としても信仰されたと考えられますが、そうした神が鰐淵寺境内の常行堂に祀られていることには、鰐淵寺と延暦寺、鰐淵寺と出雲大社の関係性を見るようで面白さを感じます。

③浮浪の滝

浮浪の滝
©岩本まさき

鰐淵寺境内地から川に沿って山道を登った先にある、鰐淵寺を代表する聖地です。
落差18mの滝と、その滝を背景にして断崖に蔵王堂が建っており、幻想的でありながら迫力のある景色を楽しむことができます。

鰐淵寺を象徴する景色であり、ぜひ訪れてもらいたいスポットですが、滝までの道中には飛び石で川を渡る箇所や、断崖の上を通る狭い山道、濡れた木道、苔で滑る岩の上を歩く必要があり、ハイヒールやサンダルでの訪問は不可能です。

訪問ルートそのものの距離はなく、片道10分以内でたどり着くことができるため、装備さえ整えれば訪問は簡単です。
必ず滑りにくい靴を着用して訪れるようにしてください。

4.おわりにー参拝のポイントー

鰐淵寺三台杉
©岩本まさき

ここまで鰐淵寺について説明しました。
現在では地元の紅葉の名所として知られるひっそりとしたお寺ですが、筆者は中世史に興味があったため、出雲を訪れる際にはぜひ訪れたいお寺のひとつでした。

今回7月上旬に訪問すると、境内の緑は色濃く、浮浪の滝の水量も豊かで、幻想的な境内の雰囲気を存分に味わいながら参拝することができました。

観光客が多く訪れる出雲大社から車でも30分ほどと、決して近い場所にありませんが、だからこそ静かな境内をひとりじめできる時間には素晴らしい価値があると感じました。

名称浮浪山 鰐淵寺
(ふろうざん がくえんじ)
住所〒691-0022
島根県出雲市別所町148
電話番号0853-66-0250
参拝時間8:00~16:15
参拝の所要時間浮浪の滝を含み1時間程度
主なアクセス方法麓の集落までバス運行あり
参拝料大人:500円
関連するサイトhttps://izumo-kankou.gr.jp/special/683
岩本まさき

岩本まさき

1993年兵庫県西宮市生まれ。奈良大学文学部地理学科卒業後、営業職を中心に勤務。
2022年に旅行会社へ転職後は、ツアーへの添乗や旅行系のライターとして務め、個人・少人数向けツアーも多数企画しています。
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