「白川郷・五箇山の合掌造り集落」の全体像と構成資産の特徴(岐阜県白川村・富山県南砺市)

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1.はじめに

五箇山 踊り
©南砺市観光協会

この記事では、世界文化遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」について紹介します。世界遺産として登録された3つの集落が形成された歴史と、世界遺産に認定された理由、そして集落に関する解説を記載しています。

白川郷・五箇山の合掌造り集落は1995年に登録された「古都京都の文化財」に続き、日本では6例目にユネスコの世界文化遺産として認められました。

合掌造り建築が数多く見られる3つの地区が構成資産となっていますが、合掌造りとは茅葺き屋根が特徴的な3〜5階建ての木造住宅で、木材を梁の上に山形に重ね、三角形の屋根が特徴の建築です。
1階には広い居間、2階以上は屋根裏部屋で、寝室あるいは作業空間となっており、特に養蚕用の蚕を飼うスペースが多く取られる構造となっています。

2.白川郷・五箇山地域と合掌造りの歴史

©岩本まさき

ここでは合掌造りを生み出した白川郷・五箇山地域の歴史について紹介します。居住地域が限られた地形と地域の産業がポイントとなります。

白川郷・五箇山地域は、岐阜県の北部の飛騨地域と富山県南部にまたがり、山が深く、平地は少なく、冬には積雪量が多いエリアです。いつ頃から人が住んでいたのか詳しい記録は残されておらず、これらの地域の名前が文献上に見られるようになるのは鎌倉時代になってからのことです。

白川郷、五箇山地域には鎌倉新仏教の一つである浄土真宗が広まっていました。各集落には寺や道場が設けられ、そこで行なわれる各種宗教行事は地域社会の精神的結びつきを強め、集落の相互扶助組織である「結」など、この地域独自の制度を生み出す土壌となりました。

現在見られるような合掌造りの建物が見られるようになるのはさらに時代が下った江戸時代中期以降のことです。2つの地域は行政区分こそ異なるものの、農業に向かない地形と気候により、住人は養蚕業や塩硝(えんしょう)と呼ばれる火薬原料の製造業との兼業を行う必要がありました。なお、現在これらの地域では水田を見ることができますが、これらの多くは戦後に水田に転作されたものであり、それまではヒエやアワ、蕎麦といった雑穀と養蚕用の桑が農産物の主要なものでした。

蚕 繭

養蚕は蚕を育て、形成する繭から絹糸を得る産業です。養蚕業は両地域にとって貴重な収入源として歓迎されましたが、一方で蚕の養育には気温や湿度の管理とまとまった労働力が必要でした。これらの問題を解決するために、両地域では一族の次男以降の男子は婚姻をせず、長男の元で養蚕をはじめ家業の手伝いをする風習が生まれ、大家族が生活するために家屋は大型化し、合掌造りが誕生しました。

また、合掌造りと養蚕業は火薬の原料である塩硝(えんしょう)の製造にも適していました。

塩硝は土壌中のアンモニアをバクテリアの働きによって酸化させて作ります。室町時代の鉄砲伝来以降、日本の各地では主に便所付近の土を掘り出すなどして塩硝が作られてきましたが、白川郷・五箇山では蚕の排泄物を利用していました。

五箇山地域は江戸時代に金沢藩の流刑地となるほどの交通の不便な場所であったため、製法が流出しにくいという利点があったため、当時日本一の塩硝の産地となっていました。

明治時代になっても、周辺の道路整備は遅れていたため、合掌造りの建物は維持されていました。むしろ人口増加の影響もあり、明治中期ごろは合掌造りの建物が一番見られた時代とも考えられています。

しかし、第二次世界大戦後の高度経済成長期に白川郷・五箇山を取り巻く状況は一変します。白川郷周辺の地域では電力需要の増加を見込んでダム開発が行なわれました。それによって4集落が水没、産業構造の変化と既存産業の衰退もあったことから地域では人口流出が進んでいきました。

御母衣ダム

こうした状況下で住民たちによって集落を守ろうとする動きが起こり、1970年に五箇山の2つの集落が国の史跡に指定され、翌年には白川郷で「荻町集落の自然環境を守る会」が発足しました。

そして、1975年の文化財保護法改正で伝統的な集落や街並み(伝統的建造物群)も保護対象になったことを踏まえ、翌年には荻町集落が重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定、こうした動きは世界遺産登録の後押しにも繋がっていきました。
現在でも「荻町集落の自然環境を守る会」では、合掌造り家屋について「売らない、貸さない、壊さない」の三原則を掲げるなど、両集落では積極的な保存活動が行なわれています。

3.白川郷・五箇山の合掌造り集落が世界遺産に登録された理由

©岩本まさき

この章では、白川郷・五箇山の合掌造り集落がどのように評価されて世界遺産に登録されたのかを解説します。

該当する評価基準

世界遺産の評価基準は10個あり、世界遺産に認定されるには最低1つ以上の基準を満たす必要があります。白川郷・五箇山の合掌造り集落はこれらの基準のうち、以下の2つの基準を満たしたことで世界文化遺産に認定されました。

  • 白川郷・五箇山の合掌造り集落は、雪深い自然環境や社会的・経済的理由に適応した伝統的集落が今もなお残る、顕著な事例である(価値基準4)
  • 日本の急激な経済変化にもかかわらず、伝統的な合掌造り集落とこれらの村の社会構造は生き残ってきた。その結果、この資産は日本の長い歴史の精神的で重要な証拠を現在まで保存している。(価値基準5)

ここからはそれぞれの価値基準を満たした理由について説明していきます。

雪深い自然環境や社会的・経済的理由に適応した伝統的集落

合掌造
©岩本まさき

(該当価値基準4:歴史上の有意義な時代を示す優れた建造物や建築物群、技術の集積または景観の例)

白川郷・五箇山に見られる「合掌造り」と呼ばれる建築様式は、この地域の気候と人々の暮らしの中で磨かれ、独自に完成した様式です。

全国でも屈指の降雪量があり、利用できる土地が限られる谷間の集落では、稲作を中心とした生活は困難なため、住居はこの土地の産業である養蚕・塩硝製造場所としての機能を併せ持っていきました。

日本の他の地域の民家では、入母屋造りや寄棟造りと呼ばれる住居の屋根が4方向にあるものが一般的ですが、合掌造りの屋根は山形で、2方向になっている切妻造りです。
これによって風と光を取り込みやすくなり、蚕の飼育に適した環境が作り出される構造となっています。こうした気候への順応や、生活する上での様々な機能が美しい家の形となっている点が世界遺産に登録された理由となりました。

急激な経済変化の中で残されてきた集落と社会構造

五箇山 冬の夜
©南砺市観光協会

(該当価値基準5:文化を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。)

白川郷・五箇山の合掌造り集落は、高度経済成長期にはダム開発や地域産業の衰退、人口の都市部への流出を受け、多くの家屋が廃屋になるなどの衰退がみられました。これに対して集落に暮らす住民達自らが立ち上がり、文化遺産としての保存運動を行なってきました。

こうした地域間の連帯の強さは、この地域の厳しい自然環境で暮らすために長年育まれてきたものです。具体的には浄土真宗という同一信仰による精神的な結びつきを基に、「結」や「組」と呼ばれる相互扶助組織があったほか、近年まで大家族制度も存在していました。これらは戦後日本の高度成長期という変動の中でも残った、昔からの文化を表す集落の見本であるといえます。

4.白川郷・五箇山地域の構成資産

白川郷 五箇山 地図

世界遺産の白川郷・五箇山の合掌造り集落は、富山県南部と岐阜県北部の県境にまたがっており、いずれも一級河川「庄川」流域の狭い谷筋に位置しています。

庄川流域は冬季を中心に降水量が多く、地形が急峻なことから急流のため、流域では戦前から水力発電施設の建設が進められてきました。白川郷・五箇山集落の上流にある御母衣ダム(みぼろだむ)では1961年の竣工時に1346人が集落の水没により移住を余儀なくされた例もあり、戦後には大規模な開発の波にさらされてきた歴史があります。

白川郷・五箇山集落は3つの集落ごとに規模が異なるため、集落を見比べるとより理解度を高めることができます。ただし、白川郷と五箇山間は20~30キロほどの距離があるため、時間の余裕を持って訪れるようにしましょう。

集落間はバスで結ばれているほか、白川郷と五箇山の間の県境区間の道路は「飛越峡合掌ライン」の別称で呼ばれる渓谷の景色が楽しめるルートのため、ドライブをするのもおすすめです。

①白川村萩町地区

白川郷(萩町地区)

白川村萩町地区は世界遺産に指定された3集落の中で最大の規模を持っています。

3集落の中で唯一岐阜県内に位置しており、合掌造りに煙抜きを設けないことが特徴のひとつとなっています。
また、集落全体が庄川に沿って南北に位置しており、合掌造りの民家も南北方向に並んで建てられてることも特徴として挙げられ、これは南北に吹き抜ける風の影響を最小限にしながら、養蚕用と作業用に通風と採光を確保し、屋根全体に日光をあてて乾燥することを狙ったものです。

集落内から10分ほどの高台にある「荻町城跡展望台」からは白川郷を一望することができます。

②平村相倉地区

相倉地区
©南砺市観光協会

平村相倉地区は富山県側、五箇山地域に位置している合掌造り集落です。

五箇山の合掌造りの特徴としては、屋根に煙抜きを設けていること、玄関が切妻側に設けられることが多いことがあげられます。五箇山地域の集落では一年中囲炉裏の火を絶やさなかったため、煙抜きがなければ室内に煙が充満してしまうことが設計の差異を生んだとされています。

相倉地区は3つの集落の中でも水田に囲まれた風景が印象的ですが、これらの多くは戦後に桑畑から転換されており、かつては特に養蚕の盛んな集落でした。

③上平村菅沼地区

菅沼地区
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上平村菅沼地区は富山県側、五箇山地域に位置している合掌造り集落です。

菅沼地区は相倉地区よりもさらに小さな集落で、特にのどかで閑静な環境を今に残しています。集落内には五箇山の歴史と伝統を体験できる五箇山民俗館や塩硝の館があり、周辺には五箇山生活館などがあることから、合掌造りと地域の文化について学ぶことができます。

相倉地区と並び谷間に位置していることから、古くは平家の落人伝説があり、江戸時代には金沢藩の流刑地となったことから、豊富な逸話や独特の芸能が残ることでも知られています。

5.おわりに

©岩本まさき

ここまで世界遺産である白川郷・五箇山の合掌造り集落について、歴史や特徴、見どころを紹介しました。

訪れる際は地域産業との関連性を交えながら、合掌造りが建てられた背景や世界遺産に登録された理由についても理解しておくと、より深く旅行を楽しむことが出来ます。

また、白川郷と五箇山の周辺地域は日本国内でも有数の渓谷美に優れた地域なので、訪れる際はそうした景観を楽しめる旅程を組んでみるのもよいですし、高山市や金沢市から発車する観光バスを利用するとスムーズなアクセスも可能です。

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