目次
1.はじめにー香取神宮の概要ー
この記事では千葉県香取市にある「香取神宮(かとりじんぐう)」について紹介します。
境内の見どころはもちろん、由来や歴史についても解説します。
香取神宮のある千葉県香取市は千葉県の北部、茨城県との県境に位置するまちです。
市域の周辺は水郷の美しい風景で知られており、特にアヤメの時期には花を目当てに多くの観光客が訪れます。
香取市域を含む千葉県の北部と、茨城県の南西部地域は、かつて『下総国(しもうさのくに)』と呼ばれていた地域にあたり、今回取り上げる香取神宮はこの下総地域を代表する神社『下総国一宮』として信仰を受けてきました。
神社はかなり古くから存在していたと考えられており、『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』に香取神宮から常陸国行方地域に神社を分祀した記録が見られることから、8世紀前半までに神社が存在したことは確実と考えられています。
香取神宮の主祭神は『経津主神(フツヌシ)』で、日本神話中の国譲り神話では大国主から葦原中つ国(日本の国土)を受け取ったことから、朝廷に味方する武神として、古来崇敬を受けてきました。
また、香取神宮から利根川を挟んだ茨城県鹿嶋市には『鹿島神宮』が鎮座していますが、こちらに祀られている武御雷神(タケミカヅチ)も国譲り神話で活躍した神として知られます。
香取神宮と鹿島神宮はそれぞれの神を祀る神社の総本社として知られ、両神社の分社は関東や東北地方を中心に全国に広がっています。
香取神宮と鹿島神宮の間、利根川周辺の水郷地帯は、古代には巨大な内海でした。大和朝廷はこの内海を東北地方の蝦夷征伐の際の前線基地として使用したのではと考えられています。
東北地方沿岸には今も鹿島・香取神社が多く見られますが、それらの神社は大和朝廷の進出の結果祀られるようになったものとされています。
香取神社の祭礼としては、三重県の伊勢神宮や大阪府の住吉大社のものと共に、日本三大御田植祭に数えられる『御田植祭』や、祭神の経津主神が東国を平定した際の様子を表しているという『神幸祭』が代表する祭礼として挙げられます。
例年4月の第一週土日に行われる御田植祭は、遅くとも室町時代の明徳年間(1390~1394)には催行されていた歴史を持つ祭礼です。
茜たすきに菅笠をかぶった早乙女達が、田植歌を歌いながら田植をする祭礼の様子は、昔ながらの農業風景を感じさせます。
4月中旬に行われる神幸祭も800年の歴史を持つといわれる祭礼で、氏子たちが平安時代さながらの装束を身にまとい、行列を汲んで香取神宮の周りを歩くものです。行列の中には神輿を中心に甲冑武者や盾・矛を持つ人の姿がみられる、勇壮な雰囲気のお祭りです。
これらの大祭が重なる4月には、祭礼を目当てに多くの人々が香取神宮へ詰めかけます。
2.由来と歴史
この章では香取神宮の由来と歴史について、神社に伝わる話(由緒)を中心に説明していきます。
香取神宮の祭神である経津主神は、香取神宮の他にも日本各地の神社でお祀りされている神です。
有名な神社では春日神社の祭神の1柱に数えられているほか、奈良県天理市に鎮座する石上神宮や、群馬県富岡市の貫前神社(ぬきさき)の主祭神として祀られています。
経津主は国譲り神話での活躍のイメージから古来武神としての信仰を受けてきたほか、中臣氏(後に藤原氏)、物部氏といった氏族の祖先神としても信仰されてきました。
貴族、武士を含む幅広い層から信仰を受けたことで、経津主を祀る神社は全国へと広まっていきました。
香取神宮は経津主を祀る神社の中でも代表的なもので、社伝では神武天皇18(紀元前643)年に鎮座したとされている、長い歴史のある神社です。
神社とその周辺は、創建後大和朝廷の拠点として重視されてきました。また、奈良時代以降に祭神を祖先神とする藤原氏が勢力を増すにつれ、神社の権威も増していきました。
平安時代前期の延長5(927)年に成立した『延喜式』神名帳には香取神宮の社名が見られ、「香取神宮 名神大 月次新嘗」と記載されています。
この記録からは、香取神宮が下総地域を代表する神社として朝廷から認識されていたことがわかります。
また、この神名帳内で「神宮」として社名を記載された神社は、香取神宮以外には伊勢神宮と鹿島神宮のみであり、当時の朝廷の中で香取神宮は高い格式を有する神社として扱われていました。
さらに時代が下ると、香取神宮は多くの武士達から武神としての崇敬を受けるようになっていきます。
特に鎌倉・室町幕府を開き、それぞれの初代将軍となった源頼朝、足利尊氏からは神領の寄進を受けたことが神社に伝わる古文書からわかっています。
これら以外にも境内の宝物館には徳川家康の奉納した長刀や、伊達政宗の奉納した盃などをみることができるほか、境内には坂上田村麻呂が弓を立てかけたという伝承のある杉などもあり、多くの武人達がこの神社で鼓舞されてきたことがわかります。
3.境内のみどころ
この章では香取神宮の見どころについていくつかご紹介します。
①本殿
現在見られる香取神宮の本殿は、元禄13(1700)年に江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって造営された建物です。
本殿は平安時代には伊勢神宮などと同様に式年遷宮制度がありましたが、戦国時代に廃れたことがわかっています。
壁や柱などに黒漆が塗られ、そこに極彩色の装飾が施された外観が特徴的で、緑に包まれた境内の中で赤い楼門をくぐると見える漆黒の本殿は、鮮烈なコントラストがあります。
②要石
香取神宮の境内にある要石は、地震を起こす大鯰を抑え込んでいるといわれる霊石です。
古来香取神宮から鹿島神宮にかけての地域では、地中で大鯰が暴れるために地震が頻発していたとされ、それを抑えるために香取・鹿島の神が地中に石棒を差し込んで鯰の頭と尾を抑え込んだという逸話が伝わっています。
それぞれの石の露出部分はわずかながら、地中に何十尺にも渡って埋まっていると伝わっており、貞享元(1684)年に徳川光圀が参拝の際に石の周りを掘らせましたが、根本を見ることはできなかったようです。
③海獣葡萄鏡
国宝指定を受けており、香取神宮宝物館に展示されている銅鏡です。
中国唐代に製作された鏡で、名称は鏡背面の葡萄唐草文と四脚の獣にちなんでいます。
日本国内では11面の海獣葡萄鏡が確認されていますが、そのうち国宝指定されている2面のうちの1面が香取神宮に伝わっています。
奈良東大寺正倉院には、香取神宮のものと瓜二つの鏡が伝わっており、2面の鏡の間にはなんらかの関係があるとされています。
4.おわりにー参拝のポイントー
ここまで香取神宮について説明してきました。
下総一宮、そして日本神話を代表する武神を祀る神社として崇敬を受けた香取神宮には、古代以来様々な伝説、逸話が伝わっています。
神話で活躍する武神にあやかるために古代から近世までに多くの武人たちが信仰してきたほか、現在においても武術の道場には「香取大明神」「鹿島大明神」と書かれた掛け軸が掛けられていることも多く、今なお武神としての信仰を集めていることが特徴です。
あなたも勝運を祈願しに香取神宮を参拝してはいかがでしょうか。
名称 | 香取神宮 |
住所 | 〒287-0017 千葉県香取市香取1697 |
電話番号 | 0478-57-3211 |
参拝時間 | 8:30~17:00 |
参拝の所要時間 | おおむね60分 |
主なアクセス方法 | 佐原駅からコミュニティバス運行あり |
参拝料 | なし |
関連サイト | https://katori-jingu.or.jp/ |