目次
1.はじめにー仁和寺についてー
この記事では京都府京都市にある真言宗御室派の総本山寺院、仁和寺をご紹介します。
お寺の歴史はもちろんですが、「御室桜」で知られる桜や紅葉の名所であることや、2018年にオープンして話題となった「1泊100万円の宿坊」についても取り上げていきます。
仁和寺は京都市右京区御室にあるお寺です。
お寺の前には「きぬかけの道」が通っており、沿道には仁和寺のほかに石庭で有名な龍安寺(りょうあんじ)や、金閣で知られる鹿苑寺、室町幕府足利家の菩提寺である等持院(とうじいん)などが門を連ねており、一帯には多くの観光客が訪れます。
仁和寺はそれらのお寺の中でも創建時期が古く、格式の高いお寺として知られています。
平安時代前期の天皇『宇多天皇』が仁和寺で出家したほか、明治時代に入るまで皇族の子弟が歴代の門跡(住職)を務める門跡寺院として続いたことで高い権威と格式を誇りました。
その影響もあり、境内には国宝や重要文化財指定を受けた数多くの寺宝が現在まで伝わっています。
上記から歴史好きやお寺好きには元々よく知られているお寺でしたが、近年では美しい庭園や、御室桜や紅葉など季節折々の景色を楽しむことができるお寺として、SNS上でもお寺の動画や写真を多く見かけます。
2. 由来とまつわる人物
仁和寺の創建時期は平安時代の前期、仁和年間(西暦885〜889年)に遡ります。
お寺は時の天皇である光孝天皇の勅願によって建設がスタートしましたが、光孝天皇はお寺の完成を見ずに崩御してしまい、子の宇多天皇の代に完成、完成当時の元号からお寺の名前を仁和寺としました。
宇多天皇の治世は日本が律令国家から王朝国家へと姿を変えていく過渡期的な時代であるともいわれています。宇多天皇は菅原道真ら近臣を重用し、遣唐使の廃止のほか、各地方の国司権限を強化する国司請負など数多くの政治改革を行いました。
天皇の治世は「寛平の治(かんぴょうのち)」とも称され、王朝政治の最盛期とされる「延喜・天暦の治」期より高く評価する説も見られます。
数多くの改革を為した宇多天皇ですが、寛平9(897)年に突如として譲位してしまいます。
原因には所説があり、仏教に専念するためという説や、子の醍醐天皇の後ろ盾として自由に政治をするためという説があります。
その後、宇多上皇は引き続き道真を援助するなど政治への影響力を保持しましたが、それと同時に徐々に仏教への傾倒が見られるようになっていきます。
昌泰2(899)年10月には宇多上皇は仁和寺で出家して法皇となり、熊野三山や高野山、比叡山へ参詣した記録が残っています。
しかし、都を離れることが多くなったことで宇多法皇の政治への影響力は下がり、昌泰4(901)年には道真らを中心とする宇多天皇期の改革を推進したメンバーが左遷・流罪にされる事件「昌泰の変(しょうたいのへん)」が発生しています。
自らの息の掛かった政治家たちの下野により政治の表舞台から去ることを余儀なくされるかに見えた宇多法皇ですが、意外な形で政治への影響力を保持します。
宇多法皇は延喜元・昌泰4(901)年に真言宗の指導者の資格である「阿闍梨(あじゃり)」となっており、これによって真言宗の僧侶を育成することができるようになった宇多法王は自らの弟子を多く朝廷の法会へと送り込むことで自身の存在感を朝廷へ示しています。
さらに醍醐天皇の健康状態が悪化すると、宇多法皇は代理として政務に復帰、さらに醍醐天皇が崩御すると、宇多法皇の孫にあたる朱雀天皇の後見も務め、死の間際に政界への復帰を果たします。
そして後見に就任した翌年の承平元(931)年7月に宇多法皇は65歳で崩御、波乱に富んだ生涯を終えています。
宇多法皇は死後荼毘に付され、収骨されることなく土を盛って陵としています。陵墓地は仁和寺の裏手の「大内山陵」とされていますが、真偽ははっきりとしていません。
仁和寺は他にも多くの皇族貴族との関係がありますが、宇多天皇にまつわる歴史はひとつ楽しめるポイントかと思います。
3.見どころ
この章では仁和寺の見どころのいくつかを紹介していきます。
①仁和寺御殿
仁和寺の境内はほとんどのエリアを無料で拝観することができます(御室花まつりの時期以外)が、霊宝館と仁和寺御所については拝観料が必要です。
仁和寺御殿は宇多天皇をはじめ歴代の門跡たちが過ごした御所と同じ場所に建っており、現在の建物は明治時代にそれまでの御殿が焼失した後、大正時代に再建されたものです。
御殿の南側には白砂を敷き詰めた南庭が、北側には池泉式の雅な北庭があります。
タイプの異なる2つの庭園は国の名勝にも指定されており、五重塔を借景とする美しい景色で知られています。
②御室桜
通年、京都ではソメイヨシノの見ごろは4月上旬までですが、その時期を過ぎてもここ仁和寺では遅咲きの桜を楽しむことができます。
仁和寺に咲く御室桜は「京都の遅咲き桜の代表格」とも称され、平年値では4月12日~14日に満開を迎えます。
「日本さくら名所100選」にも選ばれる御室桜の歴史は江戸時代に遡り、正保3(1646)年に仁和寺伽藍の復興時に植えられたとされています。
御室桜はその美しさや遅咲きであることと共に「樹高が低い」ことでも知られており、その理由には植わっている地質が粘土層で栄養に乏しいことが影響しているとも考えられています。
その背丈の低さによって花が近くに見えることから、御室桜は背丈が低く鼻(花)が低いお多福になぞらえて「おたふく桜」とも呼ばれ、多くの人に親しまれてきました。
③松林庵
2018年に仁和寺境内で受付を開始し「1泊100万円」の価格設定で話題になった宿坊です。
数寄屋造りの2階建て一軒家をリノベーションした宿泊施設を拠点に、閉門された後の仁和寺境内を独り占めし、ゆったりと贅沢な時間を過ごせる宿泊プランで、希望すれば御殿での懐石料理や尺八体験もできます。
「夜通し世界遺産を独り占めする」体験には100万円の価値は間違いなくあり、筆者もいつかは参加してみたいな…と思っています。
4.おわりにー参拝のポイントー
ここまで仁和寺の歴史や名所などについて説明してきました。
仁和寺の境内は全体的にとても解放感があるのが特徴です。御殿や五重塔など、美しい景色を楽しめるスポットも数多くありますので、人が映り込まない写真を撮りたい場合は拝観が始まってすぐの9時から訪れるのが良いかと思います。
世界遺産に指定されている境内には国宝や重要文化財指定を受けた建物が多く並んでいるので、ゆったりと建物を見比べながら散策してみましょう。
名称 | 大内山 仁和寺(おおうちさん にんなじ) |
住所 | 〒616-8092 京都府京都市右京区御室大内33 |
電話番号 | 075-461-1155 |
参拝時間 | 9:00~17:00 |
参拝の所要時間 | 1時間程度 |
参拝料 | 仁和寺御所庭園 800円 |
主なアクセス方法 | 京福電鉄 御室仁和寺駅 徒歩3分 |
関連するサイト | 世界遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺 (ninnaji.jp) |