「紀伊山地の霊場と参詣道」吉野・大峯と高野山エリアの構成資産の特徴(奈良県・和歌山県)

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1.はじめにー構成資産の分布ー

八経ヶ岳から眺める大峰奥駈道南部

この記事では、奈良県と和歌山県、三重県にまたがって存在する世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道(さんけいみち)」のうち、奈良県の「吉野・大峯」、和歌山県の「高野山」エリアの構成資産について紹介します。

紀伊山地の霊場と参詣道は2004年にユネスコの世界文化遺産に登録され、国内では「琉球王国のグスク及び関連遺産群」に続き12例目の世界遺産です。2024年時点で23の構成資産が存在します。

構成資産は3つの霊場とそれらを繋ぐ巡礼道で成り立っています。奈良県中南部の「吉野・大峯(おおみね)」エリアに6つ、和歌山県北部の「高野山」エリアに4つ、和歌山県南部の「熊野三山」エリアに7つの構成資産があり、それらを6種の「参詣道」が繋いでいます。

構成資産が数多く、さらに広い範囲に分布していることから、この記事では「吉野・大峯」エリアと「高野山」エリアの構成資産に絞って、それぞれの特徴について説明していきます。

2.吉野・大峯エリアの構成資産

吉野山 桜
©廣畑智巳

「吉野・大峯」エリアには6つの構成資産があります。その多くが修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)によって7世紀後半に開かれたとされています。
なかでも金峯山寺(きんぷせんじ)と大峰山寺(おおみねさんじ)、金峯神社(きんぷじんじゃ)は、重要な修行の場として信仰されてきました。

吉野地域は朝廷や時の権力者との関係性も深く、奈良時代の天武天皇のほか、14世紀の南北朝時代には南朝の天皇が逃れてきた場所としても知られています。また、吉水神社(よしみずじんじゃ)では、豊臣秀吉が5,000人を招いて、盛大な花見を行なった場所として知られています。

明治時代に各地の修験道は大きなダメージを受けましたが、現在も吉野大峯地域は修験道の行場として信仰を集めています。

吉野山

吉野山遠景
©廣畑智巳

吉野山は奈良県の中央部、吉野郡吉野町に位置し、吉野川南岸から大峯山脈へと続く南北約8キロメートルほどの地域です。

吉野山は古くから雪と花の名所として知られてきた景勝地で、和歌をはじめとして多くの文学・芸術の舞台となってきたほか、天下人豊臣秀吉が大規模な花見を行なったことでも知られています。
山一面に広がる桜の花は、吉野山の金峯山寺などに祀られる蔵王権現(ざおうごんげん)のご神木として奉納されてきたもので、吉野山では現在も3万本に及ぶ桜を見ることができます。

吉野水分(みくまり)神社

吉野水分神社の桜
©廣畑智巳

吉野山の中腹にある、「子守宮(こもりみや)」とも呼ばれている神社です。
創建の年代は不詳ですが、698年には雨ごいの祈願が朝廷により行なわれた記録が残っており、古くから水の神として信仰されてきた歴史を持っています。

また、「みくまり」は「みこもり」「御子守り」と訛ったことから、平安時代中期頃からは子授けの神としても信仰されるようになりました。
現在見られる社殿は1605年に豊臣秀頼によって再建されたものです。これは豊臣秀吉が子授け祈願を吉野水分神社で行なった後に、子の秀頼を授かったことから、秀頼が秀吉の遺志を継いで社殿の再建を行なったもので、桃山建築の華麗な造りとなっています。

金峯(きんぷ)神社

金峯神社
©廣畑智巳

吉野山から大峯までのエリアの地主神である金山毘古命(かなやまひこのみこと)を祀っている、吉野山の中でも奥まった地域にある神社です。

創建の経緯や時期ははっきりとしていませんが、生物の枯死を防ぐ神、黄金の神として信仰されてきたほか、中世以降は修験道の行場としても信仰されてきた歴史を持っています。

金峯山寺(きんぷせんじ)

金峯山寺蔵王堂
©廣畑智巳

吉野山にある修験道の寺院で、後述の大峯山寺が「山上の蔵王堂」と呼ばれるのに対してこちらは「山下(さんげ)の蔵王堂」と呼ばれています。

もともと「金峯山寺」という名称は、この寺院だけではなく、吉野から大峯までの一帯の修行場全体を指していました。
寺の創建は7世紀後半で、本尊の蔵王権現(ざおうごんげん)は通常非公開ですが、約7mの巨大な像として知られ、「日本最大の秘仏」とも称されています。
蔵王権現は修験道に独自の尊格で、修験道を開いた役小角(えんのおづぬ)が金峯山での修行中に祈りによって出現させたと伝わっています。

吉水神社

吉水神社(旧吉水院)
©廣畑智巳

奈良時代に金峯山寺の付属寺院「吉水院(きっすいいん)」として役小角により創建されたと伝わっている建物です。

南北朝時代には吉野に逃れた後醍醐天皇が一時御所とし、豊臣秀吉の花見の際には、花見の本陣となっており、現在も境内に残る庭園は、花見の際に秀吉自らが作庭したものと伝わっています。
明治時代の神仏分離令により金峯山寺の所属から離れ、その後は後醍醐天皇らを祀る神社としての整備が進められた歴史を持っています。
境内からの景色は「一目千本」と称されており、吉野山の桜を一望できる名所となっています。

大峯山寺(おおみねさんじ)

大峯山寺
©岩本まさき

吉野町から南に20キロ離れた、吉野郡天川村の大峯山山頂にある寺院です。
7世紀後半に金峯山寺と共に役小角により創建されたと伝わっており、金峯山寺と同様に本堂には蔵王権現が祀られています。

大峯山頂は古くからの祭祀の場であったために数多くの遺物が残されており、「山の正倉院」と呼ばれることもあります。
金峯山寺から大峯山寺、そしてその先の熊野本宮大社へと至る道は「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」として、修験道における修行の道となっており、現在も山内の「女人結界門」から先は女人禁制となっています。
本堂へのアクセスはルートにより多少の差はあるものの片道約3~4時間の登山が必要なため、訪問の際は入念な事前準備が求められます。

3.高野山エリアの構成資産

高野山壇上伽藍
©廣畑智巳

「高野山」エリアには4つの構成遺産が存在します。高野山は真言宗の開祖である弘法大師空海が平安時代初期に開いた、金剛峯寺(こんごうぶじ)を中心とした宗教都市です。

空海の死後も高野山はこの世に存在する仏教の聖地として、多くの人々からの信仰を集め、貴族や戦国武将などの有力者に帰依したために、日本仏教の聖地の一つとして繁栄してきました。

開山以降長らく修行の場所として女人禁制とされていたため、麓には女性が高野山参りをする慈尊院(じそんいん)が整備されたほか、空海を高野山へ導いた神として、丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)、丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)の2社も崇敬されてきました。

丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)

丹生都比売神社
©廣畑智巳

高野山の北西、和歌山県かつらぎ町にある神社で、別称として「天野大社」「天野四所明神」という名前でも親しまれています。

空海が金剛峯寺を建立する際に土地の寄進を行なったと伝えられる、高野山と深い関係にある神様を祀っている神社で、かつては高野山参詣前に丹生都比売神社に参拝する習わしがありました。
主祭神は丹生都比売大神で、もともと「丹」、すなわち硫化水銀の採掘に携わる人々を祀っていた神でしたが、徐々に水神としての性格を持っていったとも考えられています。

この神社については別記事でも説明していますので、併せてご参照ください。

金剛峯寺(こんごうぶじ)

高野山金剛峯寺
©廣畑智巳

和歌山県高野町にある高野山真言宗総本山の寺院です。

平安時代に空海が開山して以降、真言密教の聖地、空海信仰の聖地の山として日本仏教の中でも特異の地位を築いており、現在に至っても多くの参詣者を集めています。

「金剛峯寺」という名前は現在では寺院の名称として認知されていますが、元来高野山全体が修行の場、金剛峯寺のエリアとして認識されてきた歴史を持っています。

山内には金剛峯寺のほかに、高野山の修行の中心地である壇上伽藍(だんじょうがらん)地域や、空海が今も瞑想を続ける奥の院エリアなどがあり、広大な山上は一日いても全てを周りきることはできません。

慈尊院(じそんいん)

慈尊院
©廣畑智巳

高野山の麓、和歌山県九度山町にある高野山真言宗の寺院です。
元々は空海が高野山を開いた際に、この地に高野山の政務を司る寺務所を設置したことがお寺の由来として伝わっています。

その後、空海の母親が高野山を見ようと四国から当地を訪ねてきたところ、女人禁制の山内へ入ることができずにこの地に滞在して弥勒仏を厚く信仰、死後には本尊に化身したと信じられました。
この歴史から慈尊院は「女人高野(にょにんこうや)」と呼ばれ、今も昔も女性からの信仰を集めています。

丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)

丹生官省符神社
©廣畑智巳

慈尊院から高野山に向かって参詣道を登った先にある神社です。
丹生都比売神社と同様の神様を祀っている神社で、この地は高野山へ至る参拝道、「町石道(ちょういしみち)」の起点であることから、空海によってこの地に神社が創建されたと伝わっています。

晴れた日には境内から高野山を見上げることができるほか、近くには鎌倉時代に建てられた町石が残っているなど、かつての高野山の信仰を感じることができる神社です。

4.おわりにー旅程を検討する際のポイントー

ここまで吉野・大峯と高野山におけるそれぞれの構成遺産の特徴について紹介しました。紀伊山地の霊場と参詣道の構成遺産は、分布する範囲が広いことに加えて、狭い山道を通る必要があるなど、アクセスには注意が必要です。

なお、今回紹介した構成資産群については、登山が必要な大峯山寺や、バスの本数が限られる丹生都比売神社を除いては、公共交通機関でのアクセスも十分可能です。
特に高野山上と吉野山エリアについては、観光バスの運行などもされているため、主要なスポットを訪問する想定であれば、両エリアを合わせて2日程度あれば周遊することも十分可能です。

蔵王堂提灯
©廣畑智巳

紀伊山地の霊場と参詣道が世界遺産に登録された理由など、世界遺産の全体像に関する内容や、熊野三山と参詣道の構成遺産については、別の記事で解説していますので、興味のある方はそちらを参照してください。

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