ヨーロッパまで繋がる鉄道と船の結節点、『人道の港町』敦賀を歩くコース(福井県敦賀市)

6 min

1.はじめにーモデルコースの概要ー

敦賀 気比の松原
©公益社団法人 福井県観光連盟

この記事では福井県西部(嶺南地域)の中心都市、敦賀(つるが)のおススメスポットをまとめています。

モデルコース形式でのご紹介のため、そのままのスケジュールで周ってみるのはもちろん、立ち寄るスポットを追加して日本海の海鮮を楽しんだり、時間短縮のためにレンタサイクルやタクシーを利用するなどのカスタマイズも可能です。

敦賀は古代から様々な街道が交わる交通の要衝でした。南の滋賀県方面への峠道には古代三関(さんげん)のひとつ、『愛発関(あらちのせき)』が置かれ、都がある畿内から東国へ反乱が広がるのを防いでいたほか、市内の気比神宮は「北陸道総鎮守」と呼ばれ、北陸地域への起点の地としても知られていました。
また、敦賀は朝鮮半島地域などとの交易の拠点としても栄えてきました。特に6世紀末から10世紀にかけて、現在の朝鮮半島北部からロシア沿海地域にかけて存在した『渤海国(ぼっかい)』との交易の拠点としても栄えました。

花換祭
©公益社団法人 福井県観光連盟

古代から交通の要衝・国際港である敦賀は、明治時代に鉄道が開通するとさらに存在感を高めました。明治35(1902)年にロシア・ウラジオストクへの定期航路が就航したのを皮切りとして、明治43(1910)年には東京新橋から満州地域(中国東北部)へ鉄道と船を乗り継ぐ連絡便が開始、翌明治44年にはシベリア鉄道との連絡も開始されています。
航空便がなかった当時、日本からヨーロッパへはスエズ運河を通って1ヶ月かかっていましたが、シベリア鉄道ルートではパリやロンドンまで2週間程度で到着する、画期的なルートでした。

このルートはその後多くの人々を救うことになります。

大正9(1920)年から大正11(1922)年にかけて、ロシア革命へ巻き込まれて親を失ったポーランド孤児達がこのルートによって敦賀へ上陸したほか、
第二次大戦中の昭和15(1940)年7月にはナチスドイツの迫害から逃れるユダヤ人に発行された杉原千畝の「命のビザ」を持った人々が、シベリア鉄道を経由して敦賀へ逃れてきています。

やがて昭和16(1941)年、ナチスドイツがソビエト連邦に宣戦を布告すると、ヨーロッパへの連絡旅客列車は運休となり、その後復活することはありませんでした。

しかし、敦賀の交通の要衝としての立ち位置は今も変わりません。
現在においても敦賀は日本海側最大級の貿易港であり、中部地方以西から北陸地方への玄関口でもあります。
そしていよいよ今年3月には敦賀まで北陸新幹線が延伸されることを受け、敦賀をはじめ沿線の地域では期待の声があがっています。

2.モデルコース

ルート:敦賀駅→気比神宮→敦賀鉄道資料館→敦賀赤レンガ倉庫(昼食)→金ヶ崎緑地→人道の港敦賀ムゼウム→旧敦賀港駅ランプ小屋→金崎宮→敦賀駅
交通手段:徒歩、バス
所要時間:6時間~

10:00 敦賀駅

敦賀駅

旅のスタートは敦賀駅からです。敦賀駅へは2024年3月16日に北陸新幹線の延伸が予定されています。
延伸後には東京駅から敦賀までは新幹線で3時間8分と、現在よりも所要時間が50分短縮される予定で、新幹線の開通後には首都圏から敦賀だけでなく福井県全域へのアクセス向上が見込まれます。

中部地方や関西地方から敦賀へは、現在は特急電車の「しらさぎ」や「サンダーバード」、特急料金不要の新快速などが運行されていますが、これらは新幹線の開通後にも残り、これまでは金沢まで運行されていた特急列車は敦賀どまりでの運行が予定されています。

名称敦賀駅
住所〒914-0055
福井県敦賀市鉄輪町1丁目1-24
関連サイトhttps://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0541413

↓「敦賀駅」バス停から敦賀市コミュニティバスに乗車し「気比神宮前」バス停下車
所要時間約7分・徒歩の場合は16分程度

10:15 氣比神宮

気比神宮
©公益社団法人 福井県観光連盟

気比神宮は北陸地方一の神社として、古くから信仰を集めてきた神社です。
敦賀周辺地域は海岸線が入り組んでいることから、良港として知られており、さらに陸路でも関西から北陸へ移動する際の入り口でもあることから、古くから交通の要衝として意識されてきた場所です。

敦賀にある気比神宮も北陸地方総鎮守の神社として崇敬を受けてきた歴史を持ち、かつては福井県地域から新潟県地域まで、北陸各地に所領を有していたと伝わります。
戦国時代に朝倉氏に属したため、織田信長の兵火によって社殿を焼失、その後敦賀空襲の際にも被害を受けています。
気比神宮のシンボルである大鳥居は空襲の被害を免れた江戸時代前期のもので、その大きさから「日本三大鳥居」のひとつに数えられます。

↓徒歩10分程度

名称氣比神宮
住所〒914-0075 
福井県敦賀市曙町11-68
電話番号0770-22-0794 
参拝料無料
開門・閉門時間【4月~9月】5時~17時
【10月~3月】6時~17時
関連サイトhttps://kehijingu.jp/

11:00 敦賀鉄道資料館

敦賀鉄道資料館
©公益社団法人 福井県観光連盟

敦賀港を望む場所にある、かつて敦賀港駅だった建物を利用した資料館です。
敦賀港駅は明治15(1882)年に「金ヶ崎駅」として開業、改名を経て日本から中国満州地域、ロシア、ヨーロッパへの連絡列車が運行されていました。
外交官やオリンピック出場選手など、多くの日本人がヨーロッパを目指して敦賀港駅を利用して大陸へ渡り、逆に大陸側からは日本の主要な海の玄関口として機能しました。

館内では敦賀と鉄道、そして港に関する様々な展示を見ることができ、鉄道ファンでなくても楽しむことができる資料館です。

名称敦賀鉄道資料館
住所〒914-0079
福井県敦賀市港町1-25
電話番号0770-21-0056
入館料無料
営業時間9:00~17:00
水曜日休館
関連サイトhttps://tsuruga-kanko.jp/spot/history_culture/railway-museum/

↓徒歩5分程度

11:30 敦賀赤レンガ倉庫

敦賀赤レンガ倉庫
©公益社団法人 福井県観光連盟

敦賀鉄道資料館から近い場所にある、赤レンガ造りの建物が並ぶ観光施設です。
建物は明治38(1905)年、外国人技師の設計によって石油貯蔵施設として建設された建物です。その後は軍の備品倉庫や、昆布貯蔵庫としても活用され、平成27(2015)年に観光施設として再整備、オープンしています。

北棟と南棟の2棟の建物が並んでおり、南棟では赤レンガ倉庫の空間を楽しみながら食事ができる、『レストラン館』に整備され、3店舗のお店が入っています。
一方の北棟は『ジオラマ館』として整備されています。明治後期から昭和初期にかけての敦賀のまちが大ジオラマで再現され、そのジオラマを見ながら、映像やARを用いた敦賀の歴史の解説を楽しむことができます。

名称敦賀赤レンガ倉庫
住所〒914-0072
福井県敦賀市金ケ崎町4-1
電話番号0770-47-6612
入館料北棟(ジオラマ館)は400円 
営業時間9:30~22:00
北棟(ジオラマ館) 9:30~17:30 (最終入館は17:00)
水曜日と年末年始休館
関連サイトhttps://tsuruga-akarenga.jp/

↓徒歩5分程度

12:40 金ヶ崎緑地

金ヶ崎緑地
©公益社団法人 福井県観光連盟

敦賀港を臨むシンボル緑地で、デッキからは敦賀港を一望に収めることができます。敦賀のレトロな雰囲気と潮風を感じながら、食後の時間をのんびりと過ごしましょう。

名称金ヶ崎緑地
住所〒914-0079
福井県敦賀市金ケ崎町1-1
関連サイトhttps://tsuruga-kanko.jp/spot/nature/kanegasaki-park/

↓徒歩5分程度

13:00 人道の港敦賀ムゼウム

敦賀ムゼウム
©公益社団法人 福井県観光連盟

敦賀港は第一次大戦後にはロシア革命に巻き込まれたポーランド孤児達が、そして第二次世界大戦中にはナチスドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人難民が上陸した港でもあります。

ユダヤ人難民たちはリトアニア、カウナスで杉原千畝(すぎはらちうね)が発行した「命のビザ」を手に、シベリアの凍土を越えて敦賀港へと降り立ちました。
ユダヤ人難民達が敦賀へ降り立ち、新たな出国先へ旅立つまでには様々な人達の尽力がありました。
杉原千畝がビザを発給したほか、ウラジオストクから日本行きの船を手配した根井三郎、敦賀から太平洋側の港湾都市への鉄道輸送をした現在のJTBの社員、大迫辰雄、ユダヤ人難民達の長期日本滞在を実現させた小辻節三らがユダヤ人難民たちの救済に尽力しました。
そして敦賀の人々もユダヤ人難民へ食料や宿泊地を提供し、銭湯を無料開放するなど、ユダヤ人難民たちを温かく受け入れています。

この資料館では「人道の港」として、ポーランド孤児とユダヤ人難民を受け入れた敦賀の町と、彼らと敦賀の繋がりについて学ぶことができます。

名称人道の港敦賀ムゼウム
住所〒914-0072
福井県敦賀市金ケ崎町23-1
電話番号0770-37-1035
入館料500円
営業時間9:00~17:00
水曜日と年末年始休館
関連サイトhttps://tsuruga-museum.jp/

↓徒歩10分程度

14:10 旧敦賀港駅ランプ小屋

明治15(1882)年、敦賀港駅が開業した際に竣工された、現存するものでは国内最古のもののひとつといわれる鉄道建築物です。

電灯が普及する以前、鉄道の灯火にはカンテラが使用されていました。この建物は当時鉄道の運行に不可欠だったカンテラの燃料を保管していた建物です。
平成26(2014)年にJR貨物から敦賀市へ建物が寄贈され、現在は復元された建物を見ることができます。建物内ではランプ小屋に関するパネル展示がされています。

名称旧敦賀港駅ランプ小屋
住所〒914-0072
福井県敦賀市金ケ崎町1-19
営業時間9:00~17:00
水曜日と年末年始休館
関連サイトhttps://tsuruga-kanko.jp/spot/history_culture/lampkoya/

↓徒歩5分程度

14:25 金崎宮(かねがさきぐう)

金崎宮
©公益社団法人 福井県観光連盟

三方が海に面した金ケ崎にある神社で、金ケ崎城の麓に鎮座しています。
交通の要衝であった敦賀は戦略上の要地でもあり、ここ金ケ崎には源平の合戦時に城が築かれたと伝わるほか、その後の南北朝時代、戦国時代にも合戦の舞台となりました。

中でも南北朝時代の金ヶ崎の戦いは「太平記」に記述されるなど名高いものです。城には新田義貞のほかに後醍醐天皇の皇子2名も籠城、北朝方の攻撃を凌いだものの、最終的には皇子1名は自害、もう1名の皇子も北朝方の捕縛を受けた後に毒殺されたと伝わります。
金崎宮は亡くなられた2名の皇子を祀る神社として、明治時代に創建されました。

境内には桜の木が多く、花見の時期には観光客で特に賑わいます。
明治時代の神社創建後に、この花見に訪れた男女が「花換えましょう」と声を掛け合い、桜の小枝を交換することで思いを伝えたとされることから、春にはこれにちなんだ「花換祭」が行われ、「恋の宮」としても知られています。

名称金崎宮(かねがさきぐう)
住所〒914-0072
福井県敦賀市金ケ崎町1-4
電話番号0770-22-0938
拝観料無料
参拝時間終日
関連サイトhttp://kanegasakigu.jp/

↓「金崎宮」バス停から敦賀市コミュニティバスに乗車し「敦賀駅前」バス停下車 
所要時間約25分・徒歩の場合は35分程度

15:30 敦賀駅

3.おわりにーコースの注目ポイントー

日本海さかな街
©公益社団法人 福井県観光連盟

ここまでモデルケース形式で敦賀のおすすめスポットをご紹介しました。
今回紹介した敦賀市は、関西地方や中部地方からは列車が直通しており、今春の北陸新幹線延伸後には関東や信越地方からのアクセスも劇的に変化する今注目のまちです。

今回は鉄道関係の遺構や、敦賀港周辺の観光スポットを重点的に取り上げていますが、敦賀にはまだまだ紹介しきれていない観光スポットがあります。
「敦賀きらめき温泉 リラ・ポート」でゆっくりと温泉に浸かるのも良いですし、「日本海さかな街」では新鮮な海産物を楽しむことができます。
そして日本三大松原に数えられる「気比の松原」は景観の美しさを楽しむことはもちろん、奈良時代に渤海からの使者を接待する迎賓館があったと伝わる場所で、歴史ロマンを感じることができます。

さらに敦賀は福井県嶺南地域の中心都市でもあり、若狭地域への玄関口となる場所です。
ラムサール条約登録湿地である「三方五湖」や、奈良と若狭との関係性が感じられる「お水送り」神事、深山に佇む国宝寺院「明通寺」など、若狭の魅力的なスポットは挙げればキリがありません。

この春は日本海の港町、敦賀に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

岩本まさき

岩本まさき

1993年兵庫県西宮市生まれ。奈良大学文学部地理学科卒業後、営業職を中心に勤務。
2022年に旅行会社へ転職後は、ツアーへの添乗や旅行系のライターとして務め、個人・少人数向けツアーも多数企画しています。
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